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リベラルとリバタリアン:自由と平等の緊張関係を文化次元で読み解く – 歩きながら考える vol.121

今日のテーマはリベラルとリバタリアン。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。
こんにちは。今日もジムに向かう道中で、ふと思いついたことについてお話しします。ちょっと前に、男性性・女性性の話をしましたが、今日はその発展として「リベラルとリバタリアン」という政治思想について考えてみたいと思います。あんまり文化的な観点で語ることは無いと思いますが、文化比較研究の枠組みから見るとどう見えるのかを考えてみたいと思います。
自由と平等:近代社会が抱える矛盾
近代社会の基本的な価値観として、「自由・平等・博愛」というのがありますね。フランス革命のスローガン。しかし、よく考えてみると、この「自由」と「平等」って、完全には両立しないですよね。
例えば、個人の自由を最大限に尊重すると、能力のある人はものすごく稼いで大金持ちになるかもしれない。その結果、貧富の格差が広がります。これは平等な状態とは言えないかもしれない。逆に平等を重視すると、稼いだ人から税金を多く取って再配分することになり、これは個人の自由を制限することになります。
つまり、近代社会はその根本から「両立しない概念を同時に尊重する」という矛盾を抱えているわけで、これって、人間社会のすごく面白いところだと思うんですよ。
リベラルとリバタリアン:同じ個人主義なのになぜ違う?
リベラルもリバタリアンも、どちらも個人主義をベースにしてますね。個人の幸福追求を重視するという点では共通しています。
しかし、両者の間には明確な違いがあります。簡単に言うと:
- リベラル:平等を重視し、再配分政策に積極的
- リバタリアン:個人の自由を重視し、政府の介入を嫌う
この違いはどこから来るのでしょうか?これをちょっとホフステードの文化次元で考えるとどうなるか。
個人主義社会の中でも、「男性性」を重視する文化と「女性性」を重視する文化があります。男性性の文化では達成や成功、高い報酬を重視し、女性性の文化では生活の質や他者への配慮を重視します。
リバタリアンが男性性的な価値観(個人の自由・達成)を重視し、リベラルが女性性的な価値観(平等・再配分・ケア)を重視していると考えると、個人主義の中の違いが少し見やすくなるかもしれません。
世界地図の上に見る価値観の布置
世界地図を見渡してみると、個人主義の国々の中でも価値観がばらついていて、
個人主義×男性性の国々:
- アメリカ
- イギリス
- ドイツ
個人主義×女性性の国々:
- スウェーデン、ノルウェー、デンマークなどの北欧諸国
- オランダ
- フランス
- スペイン
この布置を見ると、なぜ北欧諸国が福祉国家として知られ、アメリカが自由競争社会として知られるのかが文化的背景から見通しが良くなるのではないでしょうか。

トランプvs民主党:米国内の文化的対立
もちろん、一つの国の中でも価値観は一様ではありません。アメリカを例にとると、共和党(特にトランプ支持層)はより男性性的な価値観を、民主党はより女性性的な価値観を持つ傾向があるように見えます。
共和党は個人の自由や自己責任を重視し、「自分の力で成功を掴め」という考え方の方に偏っているように見えます 。一方、民主党は社会的セーフティネットや再配分政策を重視し、「誰も取り残さない」という考え方の方に偏っているように見えます。
これを単に「保守vs進歩」という従来の枠組みではなく、文化的価値観の対立として見ると、なぜ両者の議論がかみ合わないのかがよく理解できるのではないでしょうか。お互いの価値基準が異なるわけですから。

価値観の振り子:社会は周期的に変化する
面白いことに、これらの価値観は固定されているわけではなく、時代によって振り子のように揺れ動いていきます。以前お話した男性性と女性性の間の周期的な変動と同様に、リバタリアン的価値観とリベラル的価値観の間でも社会は揺れ動いていきます。
例えば2025年の今、トランプ政権下でより男性性的な価値観へとアメリカ社会が動いているように感じますよね。これも文化次元から見れば、一つの社会がダイナミックに変化していく自然な流れなのかもしれません。
長い歴史の目で見れば、社会は常に変化し続けているわけで、ただ、その変化を読み解くための「レンズ」を持つことで、混沌とした世界の動きにパターンを見出すことができるのではないでしょうか。

まとめ:文化次元から政治を読み解く
今日は「リベラルとリバタリアン」という政治思想の違いを、ホフステードの文化次元モデルから読み解いてみました。自由と平等という両立しない概念の間で揺れ動く近代社会、そしてその中での個人主義×男性性(≒リバタリアン)と個人主義×女性性(≒リベラル)という対立軸。
これは単なる思想の対立ではなく、より深い文化的価値観の違いに根ざしているのではないかという視点です。この視点を持つと、日々のニュースや政治の動きを見る目も変わってくるかもしれませんね。
さて、ちょうどジムに到着しました。今日はこの辺で終わりにしたいと思います。皆さんも日常の中で、文化次元という新しい視点から世界を見てみると、今まで気づかなかった発見があるかもしれません。
もし「こんな国はどうなの?」や「この政治的対立はどう解釈できる?」といった疑問があれば、ぜひコメントで教えてください。次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い