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若者の絆はどこへ向かう?:兵庫の銭湯で見えた意外な変化 – 歩きながら考える vol.18

2025.04.08 渡邉 寧
「歩きながら考える」

今日のテーマは「若者が地縁・血縁に回帰している」という現象について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題を平日(月~金)の毎朝ラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。

歩きながら考えるvol.18 若者の絆はどこへ向かう?:兵庫の銭湯で見えた意外な変化

こんにちは。今日は歩きながら、「スーパー銭湯で見た若者の姿から感じたこと」をゆるく話してみようと思います。この間、兵庫のとある郊外の都市に行ってきて、そこで見た面白い光景が頭から離れなくて。で、それをきっかけに、若者の地元志向やSNSの影響について考えが広がったので、その話をシェアします。

兵庫の郊外の銭湯で見た若者文化

まず最初に、その都市でのちょっとびっくりした体験から。

瀬戸内海に面した、とあるスーパー銭湯に金曜の夜に行ったんですよ。そしたら、めっちゃ混んでて。地元で人気のスポットなんだろうなって感じだったんですけど、驚いたのが、20代前半から半ばくらいの若者で溢れてたんです。3~5人の友達グループで来てて、みんな筋トレ帰りっぽい雰囲気。筋トレして汗かいた後に、「サウナ入って帰ろうぜ!」みたいなノリで集まってたみたいで。

でね、樽風呂ってあるじゃないですか。2人入るとちょっとキツいかなってサイズのやつ。あそこに、ぎゅうぎゅうで4人くらい入ってるグループがいて、男同士が密着しながら楽しそうに喋ってるんですよ。僕、思わず「そんなにくっつかなくてもいいんじゃない?」って心の中で突っ込んじゃいました(笑)。でも、それぐらい仲が良いっていうか、体の接触が親しさの証みたいになってるのかなって感じました。

僕が20代の頃って、金曜の夜に筋トレして、酒も飲まずに銭湯でわちゃわちゃするなんて文化、なかったんですよね。飲みに行くか、家でダラダラするかだったんで、この変化に「おお、今の若者ってこうなんだ!」って新鮮な驚きがありました。

地縁・血縁への回帰と社縁の衰退

ここからちょっと視点を変えて、この光景から考えが広がった話。

この銭湯での体験を見てて、ふと思い出したのが、朝日新聞の2025年1月5日の記事。筑波大学の土井隆義さんが書いた論考で、「尾崎豊が抵抗した支配、今は若者のよりどころ?地縁・血縁志向へ」っていうタイトルなんですけど、これを思い出しました。土井さんによると、昔は地方の地縁って「鬱陶しいしがらみ」で、若者はそれを断ち切って東京や大阪みたいな都会に出てくのが当たり前だった。でも今は、地元に残って、地元の高校や大学を出て、昔からの友達関係を大事にするライフスタイルが広がっているそうです。

その都市で見た若者たちが、まさにその象徴っぽくて。筋トレも銭湯も、地元の友達と一緒に楽しんでる感じが、地元志向の強さを感じさせました。で、面白いなと思ったのが、この地縁・血縁への回帰って、昭和の時代に重視されてた「社縁」――つまり会社内の繋がり――が頼れなくなったこととも繋がってるんじゃないかって。

昔は、会社が人生のセーフティーネットだったんですよね。終身雇用があって、定年まで勤めれば安定が約束されてた。でも、定年後に会社を離れると、特に男性はネットワークが細くなって孤独になりやすいって傾向があって、社会問題にもなってました。今はもう、終身雇用も崩れてきて、社縁自体が頼りにならない。だから、地縁や血縁に回帰してるんじゃないかなって思うんです。経済が停滞して、将来の見通しが立たない中で、地元の友達や家族が「最悪でも助けてくれる」っていう安心感になってるのかなって。

土井さんの記事でも、「地元大学への進学率が上がってる」っていう話が出てて、このトレンドが現実にも表れてるのが興味深いですよね。僕が見たその都市の若者も、そういう時代の流れの中にいるのかなって感じました。

SNSとカリスマリーダーの危うさ

で、ここからがちょっと心配な話。

この地元志向や地縁・血縁への回帰って、ホフステードの次元に基づくと、集団主義への回帰ということになるのだろうと思います。この流れって、いい面もあるけど、リスクもあるなって思うんです。特に、SNSの影響と絡むと、ちょっと怖い展開になるかもと思います。

ホフステード指数をよく見ると分かるんですが、集団主義が強まると「権力格差」――つまり権力を持ったリーダーを受け入れる程度――が上がるんですよ。個人主義だと自分でなんとかしようとするけど、集団主義だと「誰か強い人が集団を率いるのが当たり前」という価値観になりやすい。

今、若者がSNSをめっちゃ使ってるじゃないですか。で、SNSってアテンションエコノミーだから、目立って刺激的な人が注目されやすい。陰謀論とか「これが真実だ!」って叫ぶ人がバズったりする。そういう人が、カリスマ的なリーダーとして担ぎ上げられる可能性って強くなっているのではないかと思うんです。地元で結束が強い集団が、不安を解消してくれる「救世主」を求めたら、SNSで目立つ誰かを簡単に信じちゃうかもしれない。

でも、そのリーダーが本当にいい人かどうか、分からないですよね。権力格差が高いこと自体に良い・悪いはないけれど、選んだリーダーがデマを振りまくような人だった場合は最悪です。

日本の平均賃金が下がり続けてて、AIで仕事がなくなる不安もある中で、若者が不安で厳しい現状を打破してくれる「強いリーダー」を求めるとしたら、その気持ちはよくわかります。その不安な気持ちに、SNSを使ったデマゴーグがつけ入るとしたら、それはまずい。

だからこそ、「心のワクチン」みたいなものが必要なんじゃないかと思います。そのためには、上の世代がしっかりしないといけないと思いますね。上の世代は上の世代で厳しくて、僕の世代なんかは氷河期世代で、経済的に追い詰められている人も多いと思いますが、少しでも余裕を作って、それを下の世代に渡していけないものだろうか、と思います。経済的、時間的、道具的、感情的、、、何でもいいと思いますが、下の世代の社会援助に貢献できると良いと思います。

まとめ:地元とSNSの間で考える

というわけで、今日は兵庫の郊外の都市にある銭湯で見た若者の姿から、地縁・血縁への回帰とか、SNSとリーダー選びの危うさまで、歩きながら考えてみました。筋トレ後のわちゃわちゃが、実は経済や社会の大きな流れと繋がっているような気がして面白いと思ったんですよね。

もしみなさんの中で、「地元でこんな若者の変化、見ました!」とか「SNSでこんなリーダー、流行ってるけど怪しいな」みたいな話があったら、ぜひSNSでシェアしてコメントください。僕もまた、歩きながら考えたことをブログでシェアしていけたらいいなと思ってます。

最後まで読んでくれて、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!


渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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