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今日のテーマはAI時代における人間の創作の意味について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日も鴨川沿いを歩きながら、ちょっと考えごとをシェアしようと思います。もうすぐいつもの橋に差し掛かるんで、その前に、ちょっと話してみたいなと。テーマは、AI時代における人間の創作の意味について。AIがどんどんアートやクリエイティブの世界に入り込んでいる今、歩きながら考えてみます。
手作りTシャツと「作りたい」の情熱
先日、2025年5月6日の日経新聞で、なるほどなーと思う記事を見つけました。アパレル企業で働く方が、副業でTシャツを手作りしているという話。自宅にミシンを置いて、生地を裁断、縫製まで全部一人でやって、自分のブランドとしてマルシェやネットで売ってるということでした。長袖9000円、半袖7000円と高めだけど、ファンに大人気。
記事で紹介されていた計見さんの本業は大量生産の服作り。効率やコストに縛られるから、自分が作りたいものを作れるというわけでは必ずしもない。でも、副業ではそんな制約は外して、1着1着に情熱を込めてる。「会社で歯車になるのとは別に、自分のものづくりで社会とつながりたい」ということでした。なんか、めっちゃ良いなって思ったんですよ。「自分が作りたい」からものづくりをする。それが、誰かに「欲しい!」って思われるとしたら、すごくないですか?
九段理江さんとAIの限界
このTシャツの話、考えてたら、ふと芥川賞作家の九段理江さんのことを思い出しました。2024年に『東京都同情塔』で芥川賞を取った時、ChatGPTを使って作品の5%くらいを書き上げたっていう話が話題になりました。
でも、僕が面白いと思ったのは文学作品作りにChatGPTを使ったところではないんです。そうではなくて、九段さんがAIに関して言っていたこと。何を言っていたかというと「AI自身のために執筆するように促したものの、そうはならなかった」そうです。そして、九段さんは「創作の欲求は人間ならではのもの」と言っていました。
これ、計見さんのTシャツと通じるなって。AIは技術的にはすごいけど、「自分が心からこれをしたい!」という熱でAI自身がアウトプットをするわけではない。計見さんがミシンで作るTシャツや九段さんが書く作品は、まず、自分のために作っている。もちろん、お客さんや読者のことも考えるんでしょうけど、自分がそれを作ることを欲しているから作る。これが、AIと人間との根源的な違いの一つなんではないかと思います。
AIがガンガン創作に進出する2025年
で、ここで2025年の話。AIの進化、ほんと止まらないですよね。音楽なんて、SunoみたいなAIツールを使えば、音楽知識ゼロでもプロっぽい曲がポンポン作れちゃう。SpotifyやYouTube Musicでも、AI生成の曲がバンバン流れてる。文学だって、村上春樹っぽい文体で小説書かせたら、それっぽいものが出てくるんでしょう。アニメや漫画も同じで、最近だと、ChatGPTで「ジブリ風」の絵をみんな作ってましたね。
今は、AIが創作のあらゆる領域にガッツリ入ってきてる時代。効率もクオリティも非常に高くなってます。遅かれ早かれ、クリエイティブやアート、文学におけるAI作品のシェアは人間のそれを抜くのかもしれません。アウトプットの生成スピードが人間とは桁違いな上に、性能はどんどん進化している。
こうなってくると、創作における人間の役割って何なのかという話になってくる。
欲望する:人間の独自性
計見さんのTシャツや九段さんの小説に共通するのって、「欲望する」ってことだと思うんです。自分が「これを作りたい」「これを書きたい」って強く欲することで、初めて、誰かに「欲しい!」「読みたい!」って思われるものが生まれる。
新聞記事に、ぬいぐるみ作家のきたむらかのさんの話も出てました。彼女、手縫いで動物のぬいぐるみを作ってて、「作りたいものを発散する」って言ってる。大量生産のカプセルトイを作ったときは、確かに多くの人に届いたけど、「自分の手で作ったものが一番しっくりくる」って。
この「作りたいと思う」という欲望の有無がAIと人間の違いの一つだとすると、「どうしてもこれを作りたい」「これを作らなくては自分がおさまらない」」という欲望を持つことが、AI時代の人間の役割になるのではないかと思います。AIがどんどん創作に進出しても、「欲望する」ってのは人間の独自性であり続ける気がするんです。
他人の欲望を欲する:ラカンとジラール
フランスの精神分析学者、ジャック・ラカンは「人間の欲望は他者の欲望である」と言いました。要するに、私たちが欲しいものって、他人が欲しがってるものであるということ。みんなに人気があるスニーカー、友達がハマってるドラマ、なんでそれを欲するかというと、それは、他人が欲しているのを見て、自分も欲しくなったからということですね。 哲学者のレネ・ジラールって人も似た話をしてて、彼はこれを「模倣的欲望」って呼んでます。
記事に出ていた計見さんのTシャツもそういう部分があるんじゃないでしょうか。彼が「作りたい!」と思って作ったものだから、「なんか興味あるな」と思うこともあるんじゃないかと思うんです。九段さんの小説も、「どうしてあの人はこの文章を書きたかったんだろう」と思うと、より文章の中に引き込まれる。この、人の欲望を欲望するという連鎖は、めっちゃ人間らしい営みだと思います。
まとめ:あなたの欲望が作るもの
というわけで、今日は手作りTシャツから始まって、九段さんの文学、AIの創作進出、そしてラカンとジラールの欲望の話まで、歩きながら考えてみました。AIがどんなに創作に進出しても、「自分がこれを欲する!」って気持ちで作る行為は、人間の独自性。計見さんがミシンで作るTシャツ、九段さんが紡ぐ言葉、そこには欲望の連鎖が生まれる人間らしい何かがある。
AIが何でも創作し始めた今の時代だからこそ、自分が何を欲しているのかということにより敏感にあることが必要なのかもしれません。
もしこの話が面白いと思ったら、ぜひSNSでシェアしてくれると嬉しいです。「私、最近こんなもの作っちゃった」とか、「この人の欲望、めっちゃ伝わってきた!」みたいな話があればぜひ教えて下さい。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。今日の鴨川は天気が良くて気持ちよかったです。橋を渡りきったんで、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」で会いましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い