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M-1優勝「たくろう」のビバリーヒルズネタから考える、「みんなで笑える」ことの価値 – 歩きながら考える vol.194

2025.12.23 渡邉 寧

今日のテーマは、先日のM-1で優勝したたくろうのビバリーヒルズネタをなぜ面白いと思ったのか、ということについて。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。
(*文化以外のテーマを含む全てのブログは筆者の個人Webサイトで読むことが出来ます)

こんにちは。今日は朝の散歩をしながら、昨日のM-1グランプリについて考えています。たくろうが優勝しましたね。最終決戦で披露した「ビバリーヒルズ」のネタ、見ましたか? 僕はあのネタを見ながら、「なんでこんなに笑えるんだろう」ということをずっと考えていたんです。

もちろん、赤木さんの「テンパり」キャラクターの完成度とか、きむらバンドさんとの絶妙な掛け合いとか、技術的な要因はたくさんあると思います。審査員の博多大吉さんも「本当にその場でやっているような感じで、素晴らしい技術」と評していました。でも今日は、ちょっと引いた目線から、社会心理学的に「なぜあのネタが刺さったのか」を考えてみたいと思います。

ネタの流れを振り返る

まず、M-1を観ていない方のために、ネタの設定を簡単に説明しますね。

きむらバンドさんが「将来、アメリカのビバリーヒルズに住みたい。だから今日は練習させて」と言い出すところから始まります。で、赤木さんが「ジョージ」というアメリカ人役を演じさせられる、という設定です。

僕はこの冒頭を聞いた瞬間、「あ、これは日本人がうすうす感じているアメリカとの文化差の話だ」とピンときたんですよね。「ビバリーヒルズに住むには練習が必要」という発想自体が、日本とアメリカではコミュニケーションの作法が全然違うから、いきなり行っても上手くやれない、という前提を含んでいる。

ネタは、きむらバンドさんがナンシーという友人のホームパーティーに行こうとするところから展開します。赤木さん演じるジョージは「俺はいいけど、ナンシーは大丈夫なのかい?」「一応連絡だけ入れといて」と不安を漏らす。そしてパーティー会場では、セレブたちとの自己紹介が繰り広げられる。

皆さんはこの流れ、どう感じましたか? 僕は日ごろ、文化心理学の研究をしているので、その視点から見ると、このネタがなぜこんなに刺さるのか、ちょっと見えてくるものがあったんです。

知らない人のパーティーに行く居心地の悪さ

ホームパーティーに誘われたジョージが「ナンシーは大丈夫なのかい?」「連絡入れといて」と繰り返し確認する場面。この、知らない人ばかりのパーティーに連れて行かれそうになった時の、何とも言えない居心地の悪さって、同じように感じる人、多いんじゃないでしょうか?

この感覚、実は文化的な背景が言われていますね。北海道大学の結城雅樹先生らが研究している「関係流動性(Relational Mobility)」という概念があります。アメリカのような関係流動性の高い社会では、新しい人と知り合う機会が多く、合えば友達になるし、合わなければその場で終わる。だから、ホームパーティーに知らない人が一人増えても大した問題ではない。

一方、日本のような関係流動性の低い社会では、人間関係は比較的固定的で、新しい関係を作る機会が限られている。だからこそ、「初対面の場で受け入れられないんじゃないか」という懸念が生まれやすいんですね。ジョージの不安は、まさにこの感覚を体現している。

きむらバンドさん演じるアメリカ人が「一人くらい増えたって何の問題もない」「気にしすぎだ!」とあっさり流すのも、この対比を際立たせています。

キラキラした成功者を前にしたときの居心地の悪さ

そして圧巻なのが、パーティーでの自己紹介シーンです。

アメリカでは、個人が社会的に成功することを称賛する傾向が強いですよね。GoogleのAI開発者、マクドナルドのCEO、州知事。みんな個人の達成が前面に出てきます。これはホフステードの文化次元理論で言うと「個人主義」と「男性性」が両方高い文化の特徴です。もちろん実際のアメリカ社会では、広がった格差に対するバックラッシュもあるわけですが、価値観としては「個人がキラキラと成功する」というのは良きこととされている。

日本の場合、「男性性」は高いんですけど、そこまで「個人主義」ではない。だから、「個人の」成功をバーンと目の前に出されると、戸惑っちゃうんですよね。逃げ出したくなるかもしれない。

しかも、アメリカ人だったら、たとえ大した肩書きがなくても、自分なりのユニークな観点で自分を際立たせるような自己紹介の語りの言葉を持っていると思うんです。相手に印象づけるような質問をしたり、コミュニケーションを積極的に取ったり。

でも、赤木さんが演じるジョージは、このアメリカのフォーマットに慣れていないから完全に迷走してしまう。「Yahooで天気予報を見ている」「やよい軒でおかわりしている」「大阪府の納税者」。達成ではなく日常の行為、能動的ではなく受動的な立場。しかも「おかわり自由だからな、せっかくだから」「ちょっぴりだけどな」と、控えめな補足が入る。自分をキラキラ語るのではなく、日常のちょっとしたコンテクストを説明することで察してもらい、自分を表現しようとする。迷走っぷりに加えて、この根本的な考え方の違いが、逆に笑いのポイントになっているわけです。

なぜ「ベタ」が選ばれたのか

この手の国民性の違いをデフォルメして笑いにするコメディは、実は世界中で見られる定番の形式です。イギリスのスタンドアップコメディでフランス人やドイツ人をネタにするものなど、対比をきれいに見せること自体が笑いの構造になりやすい。

ただ、ここには微妙なラインがあって、外集団をネタにする場合は差別との境界を若干踏み越えているように見えることもあります。一方、たくろうのネタはアメリカを笑っているようでいて、実は日本人の自己認識を浮かび上がらせている。アメリカの人を見て、「ああはなれない」という感覚と、それでもテクノロジーやライフスタイルへの憧れがある、という日本で脈々と流れるアメリカ観。それが世代を超えてまだ共有されているからこそ、みんなが安心して笑えるのではないかと思うわけです。

最近のM-1などのお笑いを振り返ると、「刺さる人には刺さる」タイプの世界観型漫才が結構有った印象があります。コンビ独自の世界観があって、それが好きな人には劇刺さりするけど、誰でも楽に笑えるという感じではない。多様化・個別化の時代を反映しているとも言えます。

でも、たくろうのビバリーヒルズネタは、ある意味で「ベタ」なんですよね。日米比較という普遍的なテーマ、分かりやすい対比構造、誰もが共有できる感覚。世代や考え方の違いに依存しない。審査員9人中8人がたくろうに投票したという結果は、この「みんなで笑える」価値が再評価されたことを示しているように思います。

もしかすると、これは社会の空気を反映しているのかもしれません。SNSでは意見が分断され、価値観の多様化は進んだけれど、同時に「みんなで同じことを楽しむ」機会は減っている。そんな中で、世代も価値観も超えて「これは面白いよね」と言える瞬間の価値が、相対的に上がっているのではないか。たくろうの優勝は、個別化・分断に疲れた時代の、ちょっとした揺り戻しなのかもしれない。そんなことを考えながら歩いています。

この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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