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人はなぜ「丸くなる」のか? – 歩きながら考える vol.249

2026.03.17 渡邉 寧

今日のテーマは、人が「丸くなる」現象について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。
(*文化以外のテーマを含む全てのブログはnote上で読むことが出来ます)

こんにちは。今日はオフィスに向かって歩きながら、朝の準備中に考えていたことを話してみようと思います。テーマは「人はなぜ丸くなるのか」。昔はすごく怖かった上司が、年を取ってすっかり穏やかになった、みたいな話ってありますよね。あの「丸くなる」——つまり、人に対する当たりが柔らかくなる、衝突しなくなる、穏やかな関係性を作るようになる、というあの現象。一体なぜ起こるんだろう?と考えていたら、なかなか面白い方向に話が転がったので、歩きながら話してみます。

丸くなることには生物学的な基盤がありそうだ

まず、加齢とともに性格が実際に変わるということ自体は、心理学の研究で研究されています。人は年を取ると協調性(Agreeableness)や誠実性(Conscientiousness)が高まり、神経質さ——不安や怒りといった感情的な反応のしやすさ——が低下する傾向がある。このような現象は「成熟原理」(Maturity Principle)という枠組みで議論されていて、英国とドイツの計3万5千人以上を対象にした大規模データの分析でも、おおむねこの傾向が確認されています。つまり、「丸くなる」は主観的な印象ではなく、データ上でも観察される現象とされています。

では、なぜこういう変化が起こるのか。一つの要因として考えられているのが生物学的基盤の変化と考えられます。加齢に伴うテストステロンなどのホルモンバランスの変化が攻撃性や衝動性の緩和と関連していると言われていますし、脳の感情処理の面でも変化が報告されています。例えば、年を取るとネガティブな情報よりもポジティブな情報を優先的に処理する傾向が出てくると言われていて、これは脳の衰えではなく、前頭前野による感情制御の戦略が加齢とともに変わることと関連しているのではないか、という議論もあります。

ホルモンなのか、脳機能の変化なのか——おそらくこれらは相互に組み合わさった複雑なメカニズムで、単純にどれか一つが原因とは言えないのですが、加齢とともに生物学的基盤のレベルで何らかの変化が起きているということは言えそうです。

経験が石を削る——人間関係の中で丸くなる

ただ、生物学的な変化だけで「丸くなる」のすべてを説明できるかというと、そうでもなさそうです。

僕がこういうことなんじゃないかと思っているのは、川を流れる石のメタファーです。小学校の理科か中学の地学で習いましたよね。上流ではゴツゴツした大きな石が多いんだけど、川を流れるうちに他の石とぶつかり合って角が取れていって、下流に行くと丸い小石になっていく。

人が丸くなるのも、これに近いんじゃないかと思うんです。若い時はエネルギーがあって、人間関係の中でガンガン衝突する。痛い目にもあう。でも、そういう経験がいいも悪いも蓄積されていく中で、「自分だけが正しいわけじゃないな」とか、「相手には相手の立場がある」ということが、だんだん実感として分かってくる。この経験のばらつきが増えていくことが、人を丸くしていくのではないかという話です。

言い換えると、人間関係の中で揉まれるうちに、協調的にふるまうことのメリットを学習していくということだと思うんですよね。ぶつかって痛い目にあうよりも、穏やかに関係性を保った方がうまくいく。そういう学びが積み重なることで行動が変わり、やがて性格そのものが変化していく。実際に、パーソナリティの変化に関する研究でも、就職や結婚、子育てといった社会的役割を引き受ける経験——つまり、周囲とうまくやっていくことが求められる場面に身を置くこと——がパーソナリティの成熟に寄与している可能性が議論されています。

生物学的な変化がまずあって、それを社会経験が加速させるのか。あるいは社会経験がトリガーとなって生物学的な変化が促されるのか。おそらく両方が重なり合っているのだと思いますが、いずれにせよ、生物学的基盤の変化だけでなく、人間関係の中で揉まれることが丸くなるもう一つの大きな要因だと言えそうです。

丸くなりやすい社会、なりにくい社会

ここからが、今日一番話したかったことです。

この「人間関係の中で丸くなる」度合いって、文化によって違うんじゃないかということなんです。

社会心理学の中に関係流動性という概念があります。これは、その社会の中で対人関係をどのくらい自由に選んだり、選び替えたりできるかという、いわば人間関係の選択の自由度のこと。北米のような社会は関係流動性が高く、日本のような社会は低いとされています。

川の石のメタファーに戻ると、関係流動性が低い社会って、みんなが同じ川の流れの中にずっといる状態なんですよね。同じ集団、同じ人間関係の中で長い時間を過ごす。すると、石は同じ流れの中で何度もぶつかり合って角が取れていく。結果として、個々の石はどんどん丸くなり、均質な小石の集まりになっていく。

一方で、関係流動性が高い社会では、合わない相手との関係からそっと離脱することができる。川の流れに身を任さずにそこから飛び出る感じでしょうか。無理にぶつかり合って角を削られる必要がない。だから、衝突によって丸くなるよりも、凸凹がぴったり合う人と付き合ったり、凸と凸・凹と凹でもありのままに共存できる相手を選んだりすることができる。その分、角が残る余地がある。

日本の文化を見ていて思うのは、個人が小粒になっているなと感じること。激しい主張をする人が少なく、独特な考え方を一人一人が持っているというよりは、みんな似たような考え方をしていて、みんな穏やかに暮らしている。それ自体は悪いことではないんだけど、なんとなく均質さを感じる。もしかしたらこれは、関係流動性の低い社会の中で長い時間をかけて角が取れ続けた結果、社会的に川の下流に近づいてきたということなのかもしれません。

砂になった先に、新しい川は生まれるのか

では、丸くなることは良いことなのか、悪いことなのか。

僕は、丸くなること自体に問題はないと思っています。穏やかな社会になっていくということでもある。老子の思想に「無為自然」——流れに逆らわず、自然のままに生きるという考え方がありますが、もしかしたらその理想が、長い時間をかけて日本で実現しつつあるのかもしれない。

けど、なんとなく、違和感も感じるんですよね。穏やかなのはいいんだけど、その穏やかさの中に、活力の薄さみたいなものが混じっている気がする。みんなが丸い小石になって、静かに流れていく。それは平和な光景ではあるんだけど、このまま行くと社会が止まってしまうような気もする。

川の石のメタファーを最後まで追いかけると、下流で丸くなった小石は、やがてになって、最後はに流れ出ていく。個としての輪郭がなくなって、大きなものの一部に溶け込んでいく。でも、もし老荘思想的な循環の世界観で捉えるならば、話はそこで終わらない。砂になって海に出た先には、やがて大きな地殻変動が起きて、新しい山ができ、新しい川が生まれる。そこではゴツゴツした尖った石がまた現れて、激しくぶつかり合いながら流れ始める。

丸い小粒の小石になる時期もあれば、大粒の尖った石がたくさん現れる時期もある。文化や社会には、そういう大きなサイクルがあるのかもしれません。今の日本は、そのサイクルのどのあたりにいるのか。そして、どこに向かうのか。

というわけで、今日は「人はなぜ丸くなるのか」を歩きながら考えてみました。みなさんは、自分が丸くなったなと感じることってありますか?

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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