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Hofstede Insights Japan のファシリテーター/コンサルタント 第6回 間瀬陽子

2018.01.23 間瀬 陽子

文化とマネジメントの専門家集団であるHofstede Insights Japanのファシリテーター/コンサルタントは経歴も個性も様々。自身の異文化体験について、また日々感じていることをリレー形式で書いてまいります。

子供と文化

昨秋ホフステード先生と「子供と文化」の話をしました。「文化の最も中核にある価値観は10歳から15歳くらいまでの間に無意識のうちに身につくもので、変えようと思ってもなかなか変わらない」という先生の言葉を時々反芻しています。

リセ時代

私自身は小学生時代後半3年間をパリの現地校で過ごしました。当時通っていた16区の女子校は、週末を過ごすお城がいくつもあるような家柄の子もいる、いわゆるお嬢様学校。階級意識が強い中、人種差別を受けたこともありますが、そんなときは父の職業「外交官」が切り札になりました。先生の多くはカトリックの聖職者で、さぞかし厳格な校風かと思いきや、意外と自由だったのが制服です。制服と言っても決まっているのは色だけ。白、黒、紺、グレー、ベージュ、ボルドーであればOK。リセの上級生にもなればシックな着こなしもこなれたもの。下校時、シスター達に上品なご挨拶をし、門の外で待っている彼のバイクに乗って颯爽と去っていく姿は憧れでした。

父母の価値観

権力格差(PDI)が高いのに個人主義(IDV)も高い国で「ひねた」ティーンエージャーになった私。帰国後に入学した公立中学校での違和感の大きかったこと!横並び意識に距離を置くマイペースな私と気が合ったのは、多くが当時「ツッパリ」と呼ばれていた個性的な仲間達でした。

そんな自分の子供時代を振り返り、今になって気づくのは、日本人学校に通わせようとも、不良との付き合いを阻止しようともしなかった、父と母の価値観。「みんなちがってみんないい」を無意識のうちに身につけさせてくれたように思います。

さて、そんな私も現在子育ての真っ最中。ひねた母親に振り回されて娘は逞しく成長している様子。居心地の良い慣れた世界から巣立った時、彼女が何を感じるのかを楽しみにしているところです。


間瀬 陽子

ファシリテーター

日本企業のシステム・エンジニア、米系ビジネスソフトウエア企業のマーケティング担当を経て戦略コンサルティングファームに参画。経営者の視点で企業経営に関わる醍醐味を求めて、通信、消費財、ユティリティ業界のプロジェクトに従事。同米系ファームで7年半に及ぶ人事マネジメントを経て、現職。コミュニティを構成する「人」と「協働」をライフ・テーマに掲げ、多様な取り組みをリードしている。国際基督教大学教養学部卒業、ノースウェスタン大学ケロッグ・スクール経営学修士(MBA)、Kellogg Club of Japanディレクター、武蔵野大学大学院言語文化研究科非常勤講師、MBTI認定ユーザー

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