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30年位前の経営論を読むと発見がある
サービス業において、企業の付加価値は、その創出を担う人材と組織の質に依存してきます。その為、経営層にとっては、どのように優秀な人材を確保し、トレーニングし、個が上手く協働する組織を作り上げるかが重要な問題になってきます。
人材と組織についての書籍は、それこそ本屋に行けば数多く並んでいるし、新刊も次々に出てきます。どうすれば、人と組織は強くなっていくのか。誰もが成功モデルの正解を知りたいと思っています。
一方で、新刊のビジネス書で語られる「成功モデル」が、本当に参考になるのかどうか、それは実は良くわかりません。エクセレントカンパニーやビジョナリーカンパニーと言われた企業が、その後経営的な困難に直面する事例が多々あります。(この辺りの話は、下記のフィル・ローゼンツワイグの書籍「なぜビジネス書は間違うのか」に詳しい)
結局の所、いつでも通用する「成功モデル」などというものはなく、状況に応じて戦略も組織も変えていく必要があるわけです。
ここで、「状況に応じて」という意味を一段深く考えることが大切です。
「状況に応じて変える」とは、決して「何が起こるのか誰にも分からないのだから、その都度考えて変えていけば良い」ということではありません。そうではなくて、状況に応じて変えるとは、過去・現在・未来という時間軸を広げた時に、何が変わらなくて、何が変わるのかを明確にし、それに応じた対応の構えを作るということです。どうなるか分からないことについては、その都度考えて変えていく必要がありますが、変化しないこと・先々の状況が読めることに関しては、その状況に備えます。
そう考えると、当然出て来る問いは、「どうすれば過去・現在・未来、という時間軸は見通しが良くなるのか?」というものです。
この点、時間軸の視野を広げる工夫には色々ありますが、有効だなと思う方法の1つが「昔の言説を読む」ということ。経営であれば、30年くらい前の経営論を読むと発見があります。
昭和と令和を比べれば、変わることと変わらないことが分かる
最新の経営論を読むことも、もちろん視野を広げる上で有効なのですが、あらゆる言説はその時代と場所の文脈の中に埋め込まれています。文脈は時代によって変化していくので、今読んだことが将来も有効である保証はありません。しかも、その文脈にどっぷりと漬かっている状態だと、自分がどのような文脈を暗黙の前提にしているのかが分かりにくい。
30~40年位前の経営論、つまり、今であれば昭和後期~平成初期の経営論を読む場合、読者の興味は「昔はどうだったのか?」「今と比べて何が同じで何が違うのか?」という所に自然と集中します。1つの言説は点に過ぎませんが、昔と今という2点が分かれば、それを結んだベクトルが分かります。ベクトルが分かれば方向とその強さが分かります。つまり、状況は過去から現在にかけてどのように変化しており、今後はどうなることが予想されるかということが分かります。
「状況に応じて変える」とは、こうしたベクトルの知識を自分の中に蓄積し、その組み合わせから適した対応を考えていくということを意味します。
「ほうれんそう運動」という昭和の組織開発
以前の記事で、「ほうれんそう」について書きました。
「ほうれんそう」の本当の意味|昭和に学ぶ経営学
先輩社員が後輩社員に向かって「ほうれんそう、しっかりやってくれよ!」ということがあります。 報告・連絡・相談 の最初の一字をとって「ほうれんそう」。 …
日本企業の新入社員研修で必ず教えられる「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」は、部下が上司にこまめにコミュニケーションを取るようにという新人の心得だと思われていますが、元々はそうではなくて、上下左右の垣根を超えた組織開発だったという話です。
ほうれんそう運動が始まったのは当時中堅の証券会社だった山種証券で、時は昭和57年のことでした。今から40年弱前のことで、現在とは時代背景が異なります。円相場は1ドル235円。ソニーが世界初のCDプレーヤーを発売し、NECがPC-9801を発売しました。国際状況も市場環境も大きく異なる昭和の組織論は、令和を生きる我々から見ると非常に興味深く読み解くことが出来ます。
昭和から変わった事
昭和の組織論と令和の組織論。明らかに変わったことと、あまり変わっていないことがあります。
まず変わった事として目に付くのは「女性に対する会社の目線」です。古本で「ほうれんそうが会社を強くする」を買って読んだ多くの方が違和感を感じる点だと思います。
そもそも戦後の日本企業では、女性は三十歳を定年とする、と公式に決めていた会社がいくつもありました。昭和57年の書籍の記述では、制度上は定年に関する男女格差は廃止され、女性の力を活かす方策という部分もあるものの、やはり男女の性役割の違いに関する目線を強く感じます。定年まで働くのは男性で、女性は実際は専業主婦になるという前提が強くあるので、例えば、
「幹部婦人にその夫の仕事を理解させ、関心を持たせるという傾向は、最近とみに高まりつつあるが、夫を評価する場合に、妻がその夫の負担になってはいないかと注意する次の4つの点がある」(出所 同上)
と言い、①妻は転勤を嫌がってはならず、別途独立収入のある妻は関心出来ず、②夫の社交的集まりで目立たず妨げとならず行儀よく振舞うことが必要で、③家庭でトラブルを起こさず、④夫が出世した時にはついていく必要がある、と記述しています。
日本では、今でも男女の役割に差があるという認識が強いので、当時とメンタリティーは実際はあまり変わっていないかもしれません。しかし、少なくとも、今は上記のような記述を一般向けビジネス書で書くことは憚れるでしょう。これは大きく変わった事。
もう1つ大きく変わったと感じるのがアメリカに対する対抗意識。やはり、戦前生まれと戦後生まれではメンタリティーが大きく違うと感じます。書籍の中では、日本人はゆとりがないという話をする文脈の中で、
「 もし、アメリカ人の機械を使って石を数分間で片付けたなどという話を聞けば、 金に糸目をつけずにその機械を買い込み、「アメリカ人が5分で片付けたのなら、自分はたった3分で片付けてみせる」とばかりに闘争心を燃やすだろう」(出所 同上)
と書き、この短気と闘争心が日本人の特徴のひとつだと言います。
令和の時代を見ると、こうしたアメリカに対する闘争心は大きく後退しており、時代の変遷を感じます。
昭和と変わらない事
一方、変わらない事も多く見て取ることが出来ます。ここでは大きく3つのポイントについて触れようと思います。まず第一のポイントは、そもそものほうれんそう運動の背景にある「集団内の上下左右を超えたコミュニケーションの重要性」という認識です。ほうれんそう運動を先導した山崎さんは、
「私にはそれほど才能もない。だから、如何にに多くの知恵を集め、社員の力を合わせるかが経営者としての私の大事な務めでもあった」(出所 同上)
と言い、
「上下の報告がキビキビと行われないものか、左右の連絡がスムーズに取れないものか、上下、左右にこだわらない腹を割った相談がなされないものか」(出所 同上)
と悩んだ結果、組織においてコミュニケーションを分厚くする運動としてほうれんそう運動を社内で展開していきます。
最近では対話型組織開発という考えがありますが、上下左右の垣根を取り払い、腹を割った対話を会社の中心に据えようとする態度は、今の組織開発の方向性と酷似しています。
第二のポイントは、会社を内集団の中心に据える考え方です。山崎さんは、上司による家庭訪問を推奨します。当時、男性は終身雇用で女性は専業主婦という家庭が大半の中、山崎さんは次の様に述べます。
「私は、上の人間は時々部下の家を訪問し、奥さんに会うことが必要だと考えている。と言うと、仕事は仕事、家庭は家庭と割り切り、個人の生活に会社は干渉しないという最近の風潮に逆行し、古くさく、カビの生えた家族主義的な発想を持ち出してきたかのように思われるかもしれない。しかし、組織の”ほうれんそう”を育てるためには、社員の奥さん=かみさんを知るカミュ二ケーションは欠かせないものと言えよう」(出所 同上)
これは、家族に対して会社の方針を説明し、また家族の家庭環境までも踏まえた人事を行うべしという山崎さんの考え方です。このことは、会社を中心とし、そこに社員の家庭を巻き込んでいくということを意味しており、この考えにおいては社員の家庭までが「会社組織」に含まれます。
大企業を中心とした日本企業では、会社はただの給料を稼ぐ場ではありません。そうではなくて、同僚との繋がりは価値のあるコミュニティであり、人付き合いの中心が会社であるという人も少なくありません。
面白いことに、この考えは社歴の長い伝統的日本企業のみならず、新しいITの企業でも見ることが出来ます。例えば、サイバーエージェントの藤田さんは、終身雇用を標榜していました。藤田さんはダイヤモンドハーバードビジネスレビュー(DHBR)の記事の中で、
「当初は、実力主義で成果主義の会社の方が若者に受け入れられると思っていましたが、それは誤解でした。自分の会社が好きで会社に所属することに誇りを持ち、一丸となって仲間と共に頑張る。若い人たちも、それがモチベーションになっていることに気付いたのです」(DHBR 2015年12月号)
と言い、インターネット業界は少なくとも30年は大丈夫だから、長い目で見てこの30年を頑張ってほしいというメッセージを出します。
また、会社から二駅以内に住めば、月額3万円の家賃補助を出すというルールを出し、 新入社員の6~7割が三軒茶屋や中目黒など近所に住む環境を作り出します。藤田さん曰く、
「家が近いと、休日にも合うようになります。関係は濃密になり、誰かが止めようとしたら「一緒に頑張ろうよ」と励まし合い、社員の自律作用が働くようになったのです」(同上)
ここには、昭和と令和という40年の時間差を経ても、共通して存在する日本文化的な内集団の考え方が見て取れます。日本企業においては、会社を中心とした内集団形成がされることがあり、しかも、そこへの所属意識が1人1人のモチベーションに影響します。
第三のポイントは、現場志向です。現場力という言葉が示すように、日本企業では現場を非常に大事にする風潮があります。山崎さんは、こう言います。
「「経営者は戦略家であり、戦術家ではない」という経営論がある。私は、その考え方には賛成だが、その意味するところは、現場を離れるということではないと思っている」(出所 同上)
日本では、たとえ、経営者になったとしても現場に足を運び、何が問題なのかを自分の目で見て考えることを大切にします。これは、アメリカにおける権限移譲の考え方、すなわち、経営者は戦略に集中するもので、日々のオペレーションは部下に権限移譲するのが普通という考え方とは異なります。このため、日本では、現場を良く把握しているトップの方が称賛される傾向が強く、この傾向は今も昔も変わらないことが良くわかります。
変わることと変わらないことを踏まえた日本的組織作りを行う
日本のクライアントと組織変革のプロジェクトをやっていて強く感じることがあります。それは、自組織の土壌を良く観察することなく、変革の種をまこうとする経営層が居るということ。
山崎さんは言います。
「ほうれんそうは酸性(賛成)の土壌には育たない」
組織作りとは野菜を育てることは似ています。イエスマンばかりが跋扈(ばっこ)するような土壌では上下左右の垣根を超えたコミュニケーションは生まれません。組織の今の土壌をきちんと観察し、何が変わりうるのか・変わらないのかを識別し、土壌改良を進めながらタネをまいていく必要があります。
日本という土壌でタネをまくのであれば、日本の土壌を、日本の外でタネをまくのであれば、その地の土壌を、まずは良く理解することが大切です。まずは良く土壌を観察すること。そして、その土壌の時間軸での改良を考える事。組織づくりではそういう視点が大切なんだろうと強く思います。
渡辺 寧
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程在籍。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。