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市民マラソン復活が示す希望:共通項を失った社会で、走ることの意味 – 歩きながら考える vol.151

今日のテーマは、マラソン人気が回復してコロナ前の水準に並んだという件について思うこと。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。
(*文化以外のテーマを含む全てのブログは筆者の個人Webサイトで読むことが出来ます)
こんにちは。今日は昼休みの散歩時間を使って、最近気になっているマラソンの話をしようと思います。日経新聞で「市民マラソン復活の兆し」っていう記事を読んで、これ、良い兆しなんじゃないかと思ってるんですよね。今の日本社会が抱えてる問題とつなげながら、ゆるく考えてみます。
マラソン人口、コロナ前の水準まで回復
まず最初に、データの話から。日経新聞の10月13日の記事によると、市民マラソンの参加者数がコロナ前の水準まで回復してきたそうです。アールビーズっていう大会登録を手掛ける会社の統計で、2024年のエントリー合計が2019年の95%まで戻って、2025年は2019年をわずかに上回る見込みだと。
「マラソンブームって終わったんじゃないの?」って聞いてたんですよね。2022年とか23年の段階で、参加者が7割か8割くらいに減っちゃってて、もう下火なのかなって。でも、状況が変わりつつあるそうで、若い人がどんどん参加し始めてるとのこと。20代の新規会員登録が2019年の約1.5倍。Z世代が走り出してる。
参加費は高騰してるみたいですね。2024年の平均参加料は8,000円で、2019年より2,100円も上がってる。東京マラソンに至っては、2026年3月大会が19,800円。2007年の第1回大会は1万円だったから、ほぼ倍増です。ボランティア不足でスタッフを臨時雇用しなきゃいけなくて、経費が膨らんでるのが原因らしいんですけど、それでも人が集まる。
共通項を失った社会で、何を話せばいいのか
ここからが今日の本題なんですけど、今の社会って、共通の話題がすごく少なくなってると思いませんか?
昔だったら、男性同士で野球の話ができた。会社員ならゴルフの話。社内だったら会社の話題が共通項になった。でも、今はどうでしょう。趣味は細分化しちゃってて、僕はサッカー見るけど、同世代の男性と居酒屋でサッカーの話で盛り上がるなんて、相当稀ですよ。逆に、阪神の話されても、僕は野球見ないから全然わかんない。
本当は、政治の話とか地域の選挙みたいな話って、共通項になるはずなんですよ。でも、それってタブー視されてて、「空気読めよ」みたいな雰囲気になっちゃう。なかなか口にできない。
じゃあ、何が残るのか。健康、お金、食べ物。この3つくらいじゃないでしょうか。でも、お金の話は経済格差があって話しにくいし、食べ物もお金がかかる。そうなると、残るのは健康なんですよね。
これ、社会学者のロバート・パットナムが『孤独なボウリング』で指摘した「社会関係資本の衰退」そのものだと思うんです。共同体的な活動が減って、人々が孤立していく。特に男性は、この傾向が顕著です。
個人主義化が進んで、共通項が失われて、相互の共感が持ちにくくなってる。この状況で、マラソンが持つ意味って、すごく大きいんじゃないかって思うんです。
なぜマラソンなのか:男性性とのバランス
健康を共通項にするとして、なぜマラソンなのか。
まず、お金がかからない。走るだけなら、ジョギングシューズがあればいい。最近はシューズも高くなってて、2025年上半期の平均単価は8,945円まで上がってるそうですけど、それでも筋トレのジム代とか、ゴルフのプレー代に比べたら圧倒的に安い。最もコストが低い健康維持手段の一つなんじゃないでしょうか。
でも、もっと大事なのは、マラソンが持つ「達成」という要素だと思うんです。
オランダの経営学者・社会心理学者であるヘールト・ホフステードの文化次元で言えば、日本は「男性性」が高い文化です。これは生物学的な性別の話じゃなくて、達成や競争、目標を重視する文化的傾向のこと。「より高い目標を達成したい」って思う感覚。
マラソンって、まさにこの「達成」と親和性が高いと思いませんか?記録を更新する、完走する、自己ベストを出す。明確な目標があって、それに向かって努力する。男性性っぽいですよね。
でも、ここが素晴らしいところなんですけど、マラソンって「誰かに勝つ」必要がないですね。勝ち負けじゃない。自分との闘い。誰もが勝者になれる。
つまり、バランスの取れた男性性(達成志向)と考えることが出来るんじゃないかと思うんです。高い目標を掲げて達成する喜びを味わいながら、誰かを打ち負かすというよりは、同時に、同じコースを走った仲間と共感し合える。「あそこの坂道、最悪でしたよね」「足つっちゃって」「でも完走できて良かったですね」って。
これ、共通の話題として、すごく機能すると思うんですよ。
大会の工夫と、これからの可能性
最近、大会側もいろんな工夫をしてるみたいです。記事によると、全国のハーフマラソン主要6大会を結ぶ「ジャパンプレミアハーフシリーズ」っていうのがあって、年間順位を算出して賞金も用意してる。城や湖などの名所をめぐるシリーズもあって、通年の目標を提供しつつ、観光も絡めてランナーに各大会を回遊してもらう導線づくりが進んでるそうです。
これ、すごくいいなと思うんですけど、個人的にはもっとゲーム性を入れてもいいんじゃないかって思ってます。例えば、前回のタイムより短縮したら、地元のお土産品がもらえるとか。ちょっとしたインセンティブがあると、もっと裾野が広がるんじゃないでしょうか。
京都は鴨川沿いを走れるんで、すごく恵まれてます。貴船まで行けば中心部から往復で36キロくらいで、フルマラソンの練習にちょうどいい。各都市が走るのに適したコースを整備してくれると、もっと走る人が増えるんじゃないでしょうか。
まとめ:走ることで取り戻す、つながり
というわけで、今日は市民マラソン復活の話から、共通項を失った社会の問題まで考えてみました。
マラソンって、単なる健康増進じゃないんですよね。共感と共通体験を生み出すプラットフォームになり得ると思います。個人主義化が進んで、特に男性が孤立しがちな今の社会で、マラソンが持つ意味はすごく大きいと思います。
もしみなさんの中で「マラソン、やってみようかな」って思った方がいたら、ぜひ一歩踏み出してみてください。そして、走った後に誰かと「あそこのコース、キツかったですね」って話せたら、それだけで、ちょっと世界が広がると思うんです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。家に着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い