BLOGブログ
アメリカのZ世代は社会を変え、日本のZ世代は自分を変える – 歩きながら考える vol.186 – 歩きながら考える vol.186

今日のテーマは、持続可能性などの女性性的価値観に関する日米のZ世代比較。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。
(*文化以外のテーマを含む全てのブログは筆者の個人Webサイトで読むことが出来ます)
こんにちは。今日は移動時間を使って、最近読んだ新聞記事から考えたことを話してみようと思います。テーマは、アメリカで広がる「服を直して長く着る」文化と、そこから見えてくる日米の若者の価値観の違いについて。歩きながら、ゆるく考えてみます。
NYで広がる「直して着る」文化
きっかけは、12月6日の日経新聞の夕刊記事でした。ニューヨークで、質の高い服を修繕して長く着るというライフスタイルが脚光を浴びているという話です。
記事によると、アウトドアブランドのパタゴニアが月に一度「衣服修繕デー」を開催していて、他社製品でも無料で直してくれるそうです。ジーンズの穴をミシンで塞いで、あえて縫い目を見せるのが最先端の着こなしだとか。
面白いのは、この修繕サービスを利用する客の中心がZ世代(17〜27歳)だということ。記事の中で、ダウンジャケットを持ち込んだ23歳の若者が「安物を買ってちょっと着たらすぐ捨てることはしたくない」と話しています。
これは明らかに、ZARAやGAPといったファストファッション、つまり大量に消費して大量に捨てるというライフスタイルへのアンチテーゼですよね。「消費社会を席巻するファストファッションへのアンチテーゼだよ」と、記事の中で客の一人も語っています。

Z世代の環境意識と「女性性」の価値観
毎度の話ではあるんですけど、僕がいつも注目するのは、こういう価値観がアメリカのZ世代で広がっているという点なんです。
オランダの社会心理学者ホフステードの文化次元理論では、「男性性/女性性」という軸があります。男性性が高い文化は競争・達成・物質的成功を重視し、女性性が高い文化は生活の質・弱者へのケア・環境との調和を重視する。
環境保全が大事だ、必ずしも大量消費が幸せではない、という価値観は、この枠組みで言えば「女性性」の価値観ですよね。そして、Pew Research Centerの調査によると、アメリカのZ世代は他の世代と比べて気候変動問題への関与が特に高い。32%が過去1年間に気候変動に関する何らかの行動(寄付、ボランティア、議員への連絡、集会参加など)を取ったと回答しています。
ここで疑問が湧くわけです。なぜ、Z世代でこういう価値観が広がっているのか。
もちろんいろいろな理由が複合的に関係しているのは承知の上で、一つの仮説は、上の世代へのカウンターということ。親世代やその上の世代は、より稼いで、より消費して、より大きく、という男性性の価値観で生きてきた。車も大きく、ジェット機にも乗り、環境意識よりも経済成長。それに対する反発として、若い世代が女性性の価値観を採用しているのかもしれません。
でも、もう少し構造的な見方もできるんじゃないかと思うんです。

「親を超えられない」世代の適応戦略
ここで考えたいのが、世代間の経済格差の問題です。
スタンフォード大学のRaj Chettyらの研究によると、アメリカでは1940年代生まれの人の90%が親より高い収入を得ていたのに対し、1980年代生まれではその割合が50%にまで低下しています。「親世代を超えられるかどうかはコイントスと同じ確率」だと、Chetty教授は表現しています。
若い世代は資産を持っていない。上の世代との格差は開いていく。親世代のような豊かさは、頑張っても手に入らないかもしれない。
こういう状況の中で、ノルウェーの社会科学者ジョン・エルスターが論じた「適応的選好形成」というメカニズムが働いている可能性があります。イソップ童話の「酸っぱい葡萄」ですね。手に入らない葡萄を「あれは酸っぱいに違いない」と価値を下げることで、精神的な安定を保つ。
つまり、「大量消費による豊かさは手に入らない」→「だから大量消費は環境に悪いし、そもそも価値がない」と、価値観を書き換えることで、自分たちの置かれた状況に意味を与えているのかもしれない。
これはシニカルな見方に聞こえるかもしれません。もちろん、理屈で考えて現状のライフスタイルは持続可能性がないわけだから違うライフスタイルを選択しているという要素は大きいでしょう。でも、動機が何であれ、結果として環境負荷が下がるなら意味はある。そして、こういう価値観の転換自体が、一つの世代の「生存戦略」として理解できるんじゃないかと思うんです。
日本とアメリカ、同じ絶望への異なる反応
さて、ここで日本の話に戻ります。
日本のZ世代はどうなんでしょうか。環境保全やガザ紛争への関心、弱者支援といったことに、アメリカのZ世代ほど強い関心を持っているようには、正直あまり見えないんですよね。
日本だって「失われた30年」の中で育った世代ですし、「親世代を超えられない」という感覚はあるはずです。三菱総合研究所のレポートでも、日本の若者の経済的不安の高さが指摘されています。同じような閉塞感があるのに、なぜ反応が違うのか。
ここで僕が考えるのは、心理学者のロスバウムらが1984年に提唱した「プライマリーコントロール」と「セカンダリーコントロール」の違いです。
プライマリーコントロールは「環境を自分に合わせて変える」という方向性。セカンダリーコントロールは「自分を環境に合わせて変える」という方向性。そして、アメリカはプライマリー優位、日本はセカンダリー優位の文化だと言われています。
同じ「親世代のように豊かになれない」という認識があっても:
- アメリカ:「社会を変えよう」「消費主義は間違っている」「新しい価値観を作ろう」→ 環境運動、社会運動として外に向かう
- 日本:「期待値を下げよう」「身の丈に合った生活をしよう」「分相応に生きるのが賢い」→ 倹約、さとり、静かな適応として内に向かう
日本の若者が「女性性的価値観を持たない」というより、「持っていても外に向けて表明しない」のかもしれません。環境や社会問題に関心があっても、それを「社会を変える主張」として出すのではなく、「個人の生活スタイルの調整」として静かに処理している。
アメリカの若者は「服を直す」ことで社会にメッセージを発信している。日本の若者は「服を直す」ことを、静かな節約術として処理しているのかもしれない。
どちらが良い悪いという話ではありません。ただ、同じ閉塞感があっても、文化によってその処理の仕方が違う。そのことを意識しておくと、「日本の若者は意識が低い」という単純な批判を超えて、もう少し構造的に理解できるんじゃないかと思います。

まとめ
というわけで、今日はニューヨークの「直して着る」文化から始まって、日米の若者の価値観の違いまで、歩きながら考えてみました。
この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い