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アメリカ式ロジカルシンキングだけが正解じゃない – 歩きながら考える vol.198

2025.12.29 渡邉 寧

今日のテーマは、論理性の文化差について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。
(*文化以外のテーマを含む全てのブログは筆者の個人Webサイトで読むことが出来ます)

こんにちは。今日は家に帰りながら、先週参加した集中レクチャーのことを話そうと思います。毎年、文化心理学の第一人者である北山忍先生が京都大学で主催されている3日間の集中レクチャーがあって、今年は京都大学法学研究科の稲谷龍彦先生と、名古屋大学の渡邉雅子先生をお呼びしてのレクチャーでした。3人の先生とも非常に面白かったんですけど、以前ご著書を読み個人的に楽しみにしていた渡邉雅子先生のお話が印象に残っていて、歩きながら考えてみようと思います。

「論理的思考」は世界共通ではない

渡邉雅子先生は、去年『論理的思考とは何か』(岩波新書)という新書を出されて、結構話題になっているんですよね。この本、何が面白いかというと、「論理的思考の方法は世界共通ではない」ということを、日本・アメリカ・フランス・イランの4カ国の文章教育の比較から明らかにしているんです。

アメリカだったらエッセイ、フランスだったらディセルタシオン、日本だと感想文、イランだとエンシャーという、それぞれ全く違う文章の「型」が教えられている。で、その違いは単なる教育方法の違いではなくて、その社会が何を重視しているかという価値観の違いを反映しているという話なんですよね。

渡邉先生の枠組みでは、アメリカは「経済の論理」で効率性や目的達成を重視する。フランスは「政治の論理」で矛盾の解決や公共の福祉を重視する。イランは「法技術の論理」で真理の保持を重視する。そして日本は「社会の論理」で共感を重視する。それぞれの社会の価値観に合った思考表現スタイルが、文章教育を通じて再生産されているということなんです。

これを聞いて、僕がずっと感じていた違和感の正体がわかった気がしました。ビジネス書やセミナーで「ロジカルシンキング」とか「結論ファースト」とか、当たり前のように推奨されていますよね。でも、あれって実は「アメリカ社会の価値観に最適化された方法論」で、社会の焦点が変わればあるべき「論理性」は変わってくる。日本の組織でそれを無批判に導入しても、なんかしっくりこないことがあるのは当然なのかもしれません。

フランスの市民教育に憧れる理由

個人的には、フランスのロジックのあり方にすごく憧れがありますね。

フランスのディセルタシオンというのは、テーゼに対して常にアンチテーゼを考え、それをジンテーゼとして統合していくという弁証法的な思考法です。単に自分の主張を効率的に伝えるのではなくて、あらゆる可能性を吟味して矛盾を解決し、公共の福祉に生かすことを目指す。そして、そういう思考を行えることが「市民」であるという社会的合意があって、その市民教育に向けて社会の価値観や教育制度が統合されているわけです。これは驚異的なことだと思います。

思い出したのが、以前フランス人の上司と働いていた時のことです。僕が何か提案すると、必ずその反対のことを言ってくるんですよ。で、そのあと「あ、ごめん、別に批判してるわけじゃないよ。君の言うことは十分わかるよ」と言う。当時は「なんでいちいち反論してくるんだろう」と思っていたんですけど、あれはフランス教育の賜物だったのかもしれません。彼にとっては、テーゼに対してアンチテーゼを提示することは、議論を深めるための当然のプロセスだったんでしょうね。

フランス革命以降、フランスでは「革命は未完のプロジェクトである」という意識があって、社会を漸次的に改善していく主体、つまり市民を育て続けなければならないという社会的合意がある。そのための教育制度であり、ディセルタシオンなんですよね。

日本には「市民を育てる」社会的プロジェクトがあるか

翻って日本を見ると、そういう「市民を育てる」という明確な社会的プロジェクトがあるのかな、と考えてしまいます。

日本には明治維新はあったけれど、フランス革命のような「継続的な市民形成」という発想はあまりないように思います。周囲との調和や、決まったやり方で完璧にこなすことが重視される文化の中で、「社会を批判的に吟味し、改善していく主体を育てる」という方向性の社会的合意や制度はあまり形成されてこなかった。だから日本の市民社会の成熟度に気持ち悪さを感じることがあるとしても、それは無理もない話なのかもしれません。

戦後ずっと、日本は「アメリカから先進的なものを学んでくることが大事だ」というメンタリティがあったと思います。でも、アメリカの制度やものの考え方は、アメリカという社会が重視していることと整合性がつく形で作られている。日本が必ずしも同じ価値観を持っているとは限らないわけで、むしろフランスやイランのような他の国の思考様式を参考にしてもいい場合があるんじゃないか、と渡邉先生の話を聞いて思いました。

組織のサブカルチャーとして価値観とフォーマットを設計する

もう一つ思ったのが、組織のサブカルチャーを考えるということです。

国全体の文化を変えるのは大きすぎて難しいけれど、組織のレベルに限定すれば、自分たちで設計できる部分がある。ある組織がどのような成り立ちで社会に現れたのか。もしかしたらそれは、何らかの社会課題に対する「革命的な発現」だったかもしれない。今この社会の中でどのような価値・役割を果たすのか。そのためにはどのような価値観と、それに紐づいた制度——考え方のフォーマット、発言や議論の仕方、会議のあり方、リーダーシップのスタイル——がシステムとして整合性を持っているべきなのか。

そういうことを、組織のサブカルチャーとして意識的に設計していく。これが組織開発の仕事の本質なのかもしれません。

大事なのは、「アメリカで流行っているから」という理由で無批判に方法論を輸入するのではなく、自分たちの組織が何を重視しているのかを自覚した上で、それに整合するフォーマットを選び取っていくということだと思います。

というわけで、今日は渡邉雅子先生の集中レクチャーから、「論理的思考」の文化差と組織開発について歩きながら考えてみました。アメリカ式だけが正解じゃない、という視点は、日本の組織で働く多くの人にとってちょっとした解放になるんじゃないかと思います。

この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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