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AIの発言の責任は誰が取る?「AI故人」の問題点 – 歩きながら考える vol.38

2025.05.09 渡邉 寧
「歩きながら考える」

今日のテーマは、亡くなった方を「AI故人」として再現することに関して。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題を平日(月~金)の毎朝ラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思いつきを、ぜひ一緒に味わってみてください。

こんにちは! 今日も移動時間を使って、ちょっと頭の中を整理しながら話してみようと思います。テーマは「AI故人」。最近、毎日新聞(2025年4月14日)の記事で、故人の写真や映像を学習させて作った「AI故人」のサービスが始まっていて、本人の葬儀で使われているという話題が出ていました。「おお、既にサービス化されてるんだ」と思う一方、倫理的な問題を考えると、同意なき「AI故人」はまずいのでは?と思う所もあり、そのあたりを緩く話してみたいと思います。

AI故人、癒しだけど責任の所在が難しそう

まず、このAI故人サービスとは何なのか、ちょっと振り返ってみましょう。

毎日新聞の記事(「人工知能で復活「AI故人」 相次ぐサービス、葬儀での実用も」4月14日)によると、故人の動画や写真をAIに学習させて作られた「AI故人」のサービスが広がっているとのこと。葬儀で写真ではなく、動く故人が弔問客を迎えるようです。映像で動くAI故人が訪問客に「ありがとう、来てくれて」とか話しかけたりするそうです。

こうした故人のAIを作る試みは、遺族や友人の寂しさを和らげる要素もあって、グリーフケアとして使われるケースが今後増えるのではないかと思います。

一方で、こうした故人のAIを作ることをこのまま進めて行って良いのか?という迷いがあるのも感じます。

例えば、弔問客がAI故人に話しかけられ、対話できたりしたら、感情が揺さぶられるとしますよね。既になくなった人の「行為」が、生きている人に影響を与えることになるわけですが、その影響の責任は誰が取るんでしょうか?

今だって故人の写真は飾られているわけで、それ見て感情揺さぶられる人は居るだろう、何が違うんだという考えもあるとは思います。しかし、亡くなった人が「行為」をするという点が、AI故人と写真とでは決定的に違うのではないかと思います。

AI故人が弔問客に「お前、昔の借金返せよ」と言い出すとか、その手の極端な「行為」はしないようにサービス提供者は設計するとは思いますが、動いたり、話したりする。つまり、意思を持った働きかけをしてくるという意味では、「微笑んで手を振る」も「お前、借金返せよと言ってくる」というのも変わらないのではないかと思います。

これ、考えてみると、良いことなのかどうなのか、なんだかモヤモヤしませんか?

世界の事例ではどうなっているのか

この責任問題、葬儀だけじゃなくて、日常でも起こりそうです。たとえば、アメリカのMetaは、メタバースの中で、第二次世界大戦中のホロコーストを生き延びた生存者のアバターを作り、ユーザーが、生存者に質問できる空間を作りました(出典:BBC)。ここでは質問に対して、事前に録音された答えを再生する仕組みになっています。

歴史の証言を後世まで伝えるという新しい試みで、大きな意義があるのはわかりますが、こうした試みがAIによって、より対話的に出来るようになった場合、本人が亡くなった後、本人の意思とは関係なく、AIが「意思」を持って関わりをしてくるわけで、その行為の責任は誰が取るのだろうと思います。

この話を考えていて、平野啓一郎さんの小説『本心』を思い出しました。『本心』って、亡くなったお母さんをAIでデジタル再現する話なんですが、AIがだんだん、生前の母親の関係性を超えて、新しい人間関係を作っていく。どこまでが本人で、どこからがAIか、わからなくなっていきます。2025年にこんなサービスが現実になるなんて、平野さん、予言者すぎる! とも思いますが、やはり、ちょっと立ち止まって考える必要を感じます。

じゃあ、誰が責任を取るべき?

じゃあ、どうすればいいのか。話しながら考えて思いましたが、個人主義的な価値観から考えると、ポイントは「同意」と「透明性」かな、と思います。先々、もうちょっと考えて、自説を変えるかもしれませんが。

特に個人主義のもとでは、個人の意思が重視されるので、AIを作られる場合も、AI故人に接する場合も同意を取ることが必要ではないかと思います。日本はそこまで個人主義の文化ではないので、このあたりの話はあまり明確にならずに進んでいきそうで、そうなると、後で揉めるのではないかと思います。

まず、弔問客がAI故人に接する前に、「これはAIです」ってちゃんと伝えるべきだと思います。同意なしでAIと対面してしまい、そこで予想もしなかった影響を受けてしまったら大変です。また、違和感を感じたら離脱出来るようにしておく必要もあると思います。

最終的には、AIとの対話によって生じる結果は対面に同意した本人が引き受けるというのが現実的ではないかと思いますが、その前提として、事前の説明と同意が必要だと思います。

また、自分のAIを死後に作って良いかどうかを、今後は事前に意思表示することになるのではないかと思います。本人の意思と関係なくAI故人が勝手に作られて、そのAIが死後に、自分の意図とは関係ない行動をし、他者に影響を与えるのは本人の名誉や尊厳にかかわります。

まとめ:AI故人の未来を考える

というわけで、AI故人の責任問題について、歩きながらぐるぐる考えてみました。葬儀で故人が話しかけてくるなんて、AI技術の進歩に驚くわけですが、同意なしの影響や「本心」のズレは問題だと思います。2025年はもっと議論する必要が出てくるのではないでしょうか。

もしあなたが「AI故人、使ってみたい?」「責任は誰が取ると思う?」とかアイデアあったら、ぜひ教えてください。この問題に対する考えは文化によって違うのではないかと思っていて、多くの人がこの問題についてどう考えているのか、めっちゃ知りたいです!

最後まで読んでくれて、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」で会いましょう!


渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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