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なぜ国が「ネクタイを外せ」と言うのか?クールビズに見る日本人の行動原理 – 歩きながら考える vol.57

今日のテーマは20年以上の歴史を迎えた「クールビズ」政策と文化について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は朝のオフィスへの移動時間を使って、日経新聞で見かけたクールビズの記事から浮かんだことを話してみようと思います。もう6月で、だんだん暑い日が来そうな気配もありますね。最近、麻布台ヒルズのあたりを歩いてたら、Tシャツにジャケットでビジネストートを持った、めっちゃおしゃれな人たちを見かけて。「あぁ、時代変わったなぁ」って思ったんですけど、そこから日本人の行動原理について、ちょっと深い話に飛び込んでみたいと思います。
「着たいから着る」ではなく、「許可されるなら着る」感覚が一般的
2025年5月29日の日経新聞に、クールビスの歴史が20年になり、夏場の売れ筋の服装がだいぶ変わったという話が出ていました(「クールビズ20年、暑さが呼ぶ商機 青山商事はTシャツ売上高8倍」)。「クールビズが導入されて20年も経ったんだ!」ということに驚いたのですが、同時に目を引いたのがプラステ(ファーストリテイリング傘下)の調査結果。
ネクタイなしとかジャケットなしの服装について、「許容されていたら着たい」という質問に対して、その問いにYesと答えた人が4割くらいだったようなんですね。まあ、そんなもんかな、と思うかもしれませんが、4割という数字を見て、僕は、服装に関して周りの目を意識してる人、結構多いな、と思いました。
もちろん、業種によってはジャケットやネクタイが必要な場面もあるのはわかりますが、必ずしも必要ない職場で、周りからの目を気にしてジャケットやネクタイを着用してるケースが多そうだなとも思います。
これ、めっちゃ日本っぽさを感じませんか?評価懸念の感覚は多くの人が持っているのではないでしょうか。要は「周りからどう思われるか」が、自分の好みより優先されることがあたりまえということなのだと思います。
グレーゾーンは黒と判断される文化
この周りの目を気にすること自体は、調和の取れた社会を築くための文化的機能でもあり、それ自体が悪いということでは無いと思います。一方で、何をもって「許可されてるかどうか」を判断するのか。その基準には問題があるのではないかと思っています。
具体的に問題だと思う点は、「グレーが黒になる」現象です。例えば、オフィスで許容される服装に関して、日本では、「グレーゾーン」と感じたら、とりあえず「黒」と判断する(やめておこうという判断になる)傾向があるのではないでしょうか?これは、心理学でいう「予防焦点(prevention focus)」という傾向で、要は行動によって得られる利点よりもリスクに焦点が当たる傾向のことです。
例えば、会社の服装規定に「ポロシャツOK」って明記されてなかったら、「きっとダメなんだろうな」って思っちゃう。誰も「ダメ」って言ってないのに。で、みんながそう思って着てこないから、「やっぱりダメなんだ」ってことになっていく。
これ、さすがにちょっと変だと思いませんか? 誰も禁止してないのに、みんなが「きっと禁止されてる」って思い込んで、結果的に本当に「してはいけないこと」になっちゃう。皆さんの職場でもこういうこと、ありません?
なぜ環境省が音頭を取る必要があったのか
ここで本題なんですけど、2005年にクールビズが始まった時、なんで環境省が「夏は軽装でいいですよ」って言ったのか。
個人主義の文化だと、もしかしたら「は?なんで服装に関して政府がそんなこと言うの?」って思うかもしれません。服装なんて個人の判断でしょ、と。でも日本の文化的背景においては、「グレー」が「黒」になってしまっているような状況においては、何らかの形で権威が「白です」と明確に言わないと、いつまで経っても、みんなグレーを黒だと思い続けてしまうということが起こるのだと思います。
ヘールト・ホフステードはオランダの社会心理学/経営学の研究者ですが、彼の文化研究によると、日本の「不確実性回避」スコアは92で、世界でもトップクラスに高い。つまり、「不確実なことに関してルールがはっきりしてないと不安を感じる」傾向が高くなる。グレーゾーンは白か黒かはっきりしなくて不安を感じるので、「とりあえず新しいことをするのは止めておこう」と思って現状維持に動く。
個人主義文化との違い:「自分に正直」vs「周囲との調和」
ここでちょっと日本以外の文化における当たり前を考えてみましょう。例えば、個人主義の代表国と見なされることが多いアメリカ(個人主義スコア91)について。
アメリカのような個人主義が根付く文化圏では、自身の本音に正直であることが道徳的に正しいと見なされる傾向があります。そのため、「真正性(Authenticity)」や「自己欺瞞(Self-deception)」といった、日本語の日常会話では全く耳慣れない概念が出てくることがあります。
道徳心理学者ジョナサン・ハイトは、道徳観を形成する「6つの道徳基盤」を提唱しています。個人主義文化において「真正性(Authenticity)」が重視される背景には、これらの道徳基盤のうち、特に「自由/抑圧」と「公正/欺瞞」の二つが深く関わっていると考えられます。
つまり、自分自身に嘘をつくという行為は、一方では、ありのままの自己を表現する自由を内面的に「抑圧」する行為(「自由/抑圧」の観点)と見なせます。そしてもう一方では、自己に対する誠実さを欠き、自分自身を欺く「不正直」な行為(「公正/欺瞞」の観点)と捉えられます。
周りがどう思おうと、自分が思うことを言う。着たい服を着る。逆に言うと、周りの目に合わせて自分が正しいと思うことを修正するのは、自分の「自由を抑圧」しているし、自分に「正直でない」ので「道徳的ではない」と考えられる傾向が出てきます。
でも日本だと違う。周りに合わせることが道徳的で、自分の欲求を押し通すのは「わがまま」とか「空気読めない」ってなる。これは、良い悪いじゃなくて、結構根本的な文化的価値観の違いだと思います。
一方で、日本でよく見られる、空気を読む態度が行き過ぎると、本当は「白」で良いものが「黒」になってしまう。だから日本では、変化を起こすには「上からの明確な指示」が必要になる。先程のホフステードの文化指標だと、日本の権力格差は54で、そこまで権力格差が低い文化ではないから、「黒」になってしまっている「グレー」を「白」にするには、トップダウンの明確化を必要とする。ボトムアップで「みんなでネクタイやめようよ」って言っても、「いや、でも…」ってなっちゃう。トップダウンで「ネクタイ禁止!じゃなくて、ネクタイなしOK!」って明確にルール化しないと動けない。
まとめ:グレーゾーンと上手く付き合うために
というわけで、今日はクールビズの話から、日本人の行動原理について考えてみました。「許可されてるなら着る」っていう発想、グレーを黒と判断する習性、そして変化にはトップダウンのお墨付きが必要っていう話。
最近は働き方も多様化してきて、リモートワークとかも増えてるじゃないですか。服装だけじゃなくて、いろんな場面でグレーゾーンが増えてると思うんです。そんな時、「これ、やっていいのかな?」って悩むこと、きっとありますよね。
でも、この日本人の特性を理解しておけば、「あ、みんなグレーを黒だと思ってるだけかも」って気づけるかもしれない。もしかしたら、上司に「これ、やってもいいですか?」って聞いてみたら、意外と「全然いいよ」って言われるかも。
もしこの記事が面白いと思ったら、ぜひSNSでシェアしてくれると嬉しいです。皆さんの職場での「グレーゾーンあるある」も、コメントで教えてもらえると嬉しいです。特に「これ、誰も禁止してないのに、なんとなくやっちゃいけない雰囲気」みたいなやつ、きっといっぱいあると思うんですよね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。オフィスに着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い