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オールドメディアへの怒りから考える、これからの「推し活ジャーナリズム」 – 歩きながら考える vol.63

2025.06.13 渡邉 寧
「歩きながら考える」

今日のテーマは、SNS時代の新しいジャーナリズムの形に望むこと。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は烏丸通りを歩きながら、最近読んだ朝日新聞の記事について考えたことを話そうと思います。成蹊大学の伊藤昌亮先生が「表現の自由を奪い合う現代社会」について書かれてて、これがめちゃくちゃ面白かったんですよ。歩きながら、ゆるく考えてみようと思います。

オールドメディアへの批判は「表現の自由を巡る権力闘争」?

みなさんも「マスゴミ」って言葉、聞いたことありますよね? 新聞やテレビへの批判がSNSで盛り上がってるのを見て、「気持ちはわかる部分もあるけど、なんだかなあ」くらいに思ってたんですけど、伊藤先生の分析を読んで「ああ、これは権力闘争と考えるとわかりやすいわ」って思ったんです。

考えてみれば、新聞やテレビって、長い間「何を伝えるか」を決める特権を持ってたわけですよ。記者クラブっていう制度があって、そこに入ってる人だけが政治家の会見に出られるとか、電波の割り当てが決まってて誰でもテレビ放送できるわけじゃないとか。つまり、情報の入口と出口を握ってたんですね。

で、ネット時代になって誰でも発信できるようになった時、今まで情報を受け取るだけだった人たちが「俺らにも表現の自由をよこせ!」って言い始めた。これ、無意識のうちに起きてる権力闘争なんだなって。「オールドメディア」って言葉自体が、もう敵対的じゃないですか。既存のメディアを全部まとめて「ダメ」の烙印を押そうとする姿勢に見えます。

でも、権力がひっくり返っても良くなるとは限らない問題

ここからがちょっと頭の痛い話なんですけど、じゃあ既存メディアの権力がひっくり返って、SNSやネットメディアが主流になったら、情報空間は良くなるのか?って考えると、正直微妙なんですよね。

というのも、SNSってアテンションエコノミーじゃないですか。再生回数とかフォロワー数が極めて重要な指標になす。そうなると、感情的で刺激的な情報ばかりが拡散されちゃう。実際、私も最近のSNS見てて「なんでこんなデマが広まるんだろう」って思うこと多いんです。

新聞やテレビにも問題はあったけど、少なくとも「事実確認」とか「複数の視点」とかを一応は気にしてたわけで。でも、個人が発信するSNSだと、そういうチェック機能がないまま、とにかく「再生数がまわるテーマをじゃんじゃん出していこう」みたいになっちゃう。

つまり、既存のメディアとネットメディアと、どっちの権力基盤が良いかって比べても、なんか「どっちもどっち」感があるんですよね。これ、めっちゃ悩ましい問題だと思いません?

個人が個人を支える「推し活ジャーナリズム」という希望

でも、ここで諦めちゃダメだと思うんです。解決策として面白いなと思ったのが、「個人が個人を支援する」っていう新しいジャーナリズムの形。

昔は朝日新聞とか読売新聞とか、媒体単位で購読してたじゃないですか。でも、これからは「政治はこの人」「経済はあの人」みたいに、信頼できる個人の記者やジャーナリストを「推し活」する時代になるんじゃないかって。

実際、noteとか、個人が有料メルマガ出したりしてるのを見ると、もうその流れは始まってる気がします。で、面白いのは、ネット時代って固定費がめっちゃ軽くなり得ること。新聞社みたいに巨大な社屋とか印刷機とか要らない。スマホ一台あれば、世界中に情報発信できる。オープンな情報空間に出された個人ジャーナリストの言説は、他の論者やAIの評価が入り得るわけなので、切磋琢磨されていく。

一人のジャーナリストが取材をして生計を立てるために、1000人くらいの読者がついてくれて、毎月平均1000円位の支援をしてくれれば、なんとかやっていけるんじゃないかなって。取材活動毎にクラウドファンディングをして、内容を密にライブで話してくれるとすると、そういうジャーナリストを応援したいという人は一定数いるんじゃないかと思います。質の高い情報が必要だという感覚を持つ人は必ずいるはずだし、実現可能な気がしません?

ホフステードの権力格差理論で見る、日本メディアの未来

最後に、ちょっと文化的な観点で話をしたいんですけど、オランダの経営学者・社会心理学者であるヘールト・ホフステードは文化を表す次元の一つとして「権力格差」という次元を定義しています。これは、「権力を持たない弱い立場の人が、権力が不平等に分布する状況を受け入れる度合い」のことです。

日本って、この権力格差のスコアが54で真ん中位。権力格差が低い文化というわけではないので、権威のあるメディアが「これが真実です」と言うと、「権威のあるメディアがそう言っているのだからそうなのだろう」という受け取られ方をする可能性が一定程度あります。

ネット時代になって、新聞やテレビ等のこれまでの権威の価値が下がったとしても、代わって、ネットの一部のインフルエンサーが権威を獲得するのであれば、それは問題だと思います。その人が言うことに誤りや、個人的な利害が含まれている場合、その発信をそのまま信じるわけには行きません。

大事なのは、誰でも発信でき、発信した内容には他者やAIの批評が入り、結果として誰でも優秀な情報発信者になれるっていう文化を作ること。不確実性を恐れずに、いろんな人が出てきていい。ただし、そして、その中で本当に社会の為に情報発信をする人が選別されるような仕組みを支えたいと思います。

まとめ:メディアの上下闘争から、横のつながりへ

というわけで、今日は「表現の自由を巡る権力闘争」から始まって、新しいジャーナリズムの形まで、歩きながら考えてみました。オールドメディア vs ネットメディアっていう単純な対立じゃなくて、どうやったら質の高い情報空間を作れるかっていう話、なかなか難しい問題ですよね。

もし、この記事が面白いと思ったら、ぜひSNSでシェアしてください! みなさんの中で「こんなジャーナリスト推してる」とか「メディアの未来はこうなる」みたいな意見があったら、コメントで教えてください。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。家に着いたんで、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

 

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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