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出生数70万人割れの衝撃:少子化が進む東アジアの文化的背景 – 歩きながら考える vol.68

今日は、日本だけでなく急速に少子化が進む東アジアの文化的背景について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は会食に向かう道すがら、ちょっと重たいけど避けて通れない話題について考えてみようと思います。2024年の出生数が68万6061人で、統計開始の1899年以来初めて70万人を割ったっていうニュースです。
125年以上の歴史で最低の出生数だそうです。これはもう「少子化」なんて生易しい言葉じゃ表現できないレベルですよね。そこで今日は、なぜこんなことになってしまったのか、文化的な視点から考えてみたいと思います。歩きながら、ゆるく話していきますね。
東アジア全体で進む少子化の深刻さ
少子化に苦しむ日本ですが、この少子化の問題は日本特有の問題というわけではなく、東アジア全体で見られる現象です。例えば、韓国の合計特殊出生率は0.75まで下がっています。中国、台湾も同様に下がっている。
世界各地の特に先進国を中心に少子化の問題はありますが、東アジアで少子化の問題が特に深刻なのだとすると、その背景には地域共通の要因があるのかもしれません。ここでは、そうした共通要因の一つの可能性として、文化の観点から考えてみたいと思います。
オランダの経営学者・社会心理学者であるヘールト・ホフステードが、国民文化を6つの次元で説明するモデルを提示しました。この「ホフステードの6次元モデル」は、各国の文化的特徴を数値化して比較するフレームワークです。
東アジアに共通する「権力格差」という文化的特徴
少子化に関して、ホフステードのモデルの中で、まず注目したいのが「権力格差」という次元です。これは、社会において権力の不平等がどの程度受け入れられているかを示す指標です。
東アジアは権力格差が高い傾向にあります。日本の権力格差のスコアは54と中間ぐらいではありますが、少なくとも権力格差が低い文化とは言えず、他の東アジア諸国は権力格差が高い数値を示しています。
権力格差が高い社会では、社会構造がピラミッド型になっていて、上に行けば行くほど席数が少ない。そうなると、子どもの教育が「競争」になってしまう程度が高くなるのではないかと思います。もちろん、権力格差が低い国でも競争はありますが、「こっちのピラミッドがダメならあっちのピラミッドを登れば良い」というように、個性に応じて上る階層が色々あり、権力格差が高い社会ほど激烈な上昇競争にはならないのではないかと感じます。
その結果、いい学校に入れて、いい大学に行かせて、いい会社に就職させる。限られた社会上層部の席を巡って、親たちが必死になる。結果として、子育てのコストが「とてつもなく大きく見える」という構造ができあがる。
日本の価値観はどう変わってきたか
日経新聞の記事に載っていた国立社会保障・人口問題研究所の岩澤さんの分析によると、日本人の結婚に対する考え方って、時代とともにこんな風に変わってきたそうです:
- 1980年代:結婚を先送り(個人の選択肢が増えた。自由を楽しみたい)
- 1990年代:結婚したいけどできない(経済的な理由で)
- 2010年代以降:そもそも結婚したいと思わない
この変化、興味深いですよね。最初は「タイミングの問題」だったのが、だんだん「そもそも論」になってきてる。個人の自由を重視する価値観が広がる中で、結婚や子育てが「選択肢の一つ」になった。でも、その選択肢があまりにも重く見えるようになってしまった、ということなんでしょう。
スウェーデン・フランスとの決定的な違い:子どもへのケアをどう考えるか
ここで興味深い比較があります。日経新聞の6月9日の記事で、慶應大学の阪井准教授のインタビューが紹介されていました。それによると、スウェーデンやフランスの親に「子どもに送ってほしくない人生」を聞いたところ、「子どもを持たない」や「子どものケアに関わらない」といった回答が挙げられたそうです。このような回答は日本ではそこまで多くはないかもしれません。
現代の社会を見ると、日本の若い層も欧米同様に個人主義化してきたと考えられます。しかし、東アジアの中でも、特に日本に関しては子どもや子どもへのケアに関しては考え方に差があるのかもしれません。
この違いを理解する考えの補助線が、ホフステードの「男性性・女性性」という次元。日本は世界で最も「男性性」が高い国の一つ(MAS=95)で、競争や成功、達成を重視する価値観が強い。一方、スウェーデンやフランスは「女性性」が高く、生活の質や弱者へのケアを大切にする文化になっている。
スウェーデンやフランスでは親が「自分の子供には子育てに関わって欲しい」と言う背景には、こうした女性性の価値観があるのではないかと感じます。
個人主義化と高権力格差/男性性の価値観が生む「過酷な競争」
昔は家制度があって、子どもを作るのは「当たり前」だった。その中で「強くあらねばならない」という価値観は、家族を守るためのものとして機能していたのかもしれません。
でも、個人主義化してくる中で結婚も出産も「選択」になった。ここで男性性の価値観が残っていると、子育てに関しても成功しなければならないし、子どもは競争に勝たなければならない。また、これは東アジア共通ですが、低くない権力格差から、社会の中で階層を上がっていくためには、少ない席数を巡る競争に勝つ必要があるということが見えている。日本や中国は男性性×高権力格差なので、もしかしたら文化的には特に厳しいかもしれません。
これ、きついですよね。選択の自由はあるけれど、それを選べば過酷な競争が始まるということが見えている。こうなってくると、「選ばない」という人が増えるのも自然の摂理のように思います。
制度設計で「競争」から「ケア」へシフトする可能性
この問題の解決策を人の心の価値観の転換に求めると難しいので、やはり国や自治体と言った権力が制度的な介入をする必要があると思います。例えば:
- 子育ての負担を親ではなく社会全体として負担していくような制度設計をする
- 教育は市場原理から切り離す
教育の負担をすべて親の負担、各家族の負担だけでやっていかなければならないというような考えは、こうした制度設計によって軽減することができるかもしれません。
高権力格差(と男性性)が、子育てに厳しい環境を作っているのであれば、その大本である権力が率先的に「ケア」の価値観に基づいた制度設計を行うことで、バランスが回復されるのではないかと思います。どのように制度を直しても、競争や「席争い」は文化的に残ると思います。大切なのはバランスだと思います。
というわけで、今日は出生数70万人割れという衝撃的なニュースから、東アジアの文化的背景まで考えてみました。文化を変えるのは難しいけど、制度で「ケア」を支える社会をつくることはできるはず。そんな希望を持ちながら、この問題に向き合っていきたいですね。
もしこの記事を読んで「なるほど」とか「いや、それは違うんじゃない?」とか思った方がいたら、ぜひSNSでシェアして、コメントで教えてください。みんなでこの問題について考えていけたらいいなと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。会食の場所に着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い