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暴力は伏流水のように潜む:ナチズム前夜から見える現代社会への警鐘 – 歩きながら考える vol.72

2025.06.26 渡邉 寧
「歩きながら考える」

今回は、原田先生の「ナチズム前夜」を読んで考えたこと。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は朝の散歩をしながら、ちょっと重たいテーマについて考えています。最近オーディブルで聞いた原田昌博先生の『ナチズム前夜』という本から、現代社会への警鐘として感じたことを、歩きながら話してみようと思います。

扇状地の伏流水のように、暴力は見えないところを流れている

まず最初に、この本を読んで「なるほど!」と思った部分があったんです。それが「暴力は伏流水のような状態になることがある」という比喩。

扇状地って、地理で習いましたよね。山から流れてきた川が平地に出ると、水が地下に潜って伏流水になる。表面からは見えなくなるけど、扇状地の端っこでまた湧き出してくる。原田さんは、ワイマール共和国時代の政治と暴力を時系列で分析して、最初は街で見られていた暴力がいつしか扇状地を流れる水のように伏流水として潜り、ナチズムの台頭とともに強く政治と結びついて世界に出てきたのではないかという考えを提示されています。

一時的に民主的で文化的な社会に見えても、暴力性は地下に潜っているだけ。そして条件が整うと、また表に出てくる。ナチスが台頭したのも、まさにこの伏流水が噴き出した瞬間だったんじゃないかって。

今の日本社会を見ても、表面上は平和で暴力なんてないように見えますよね。でも、本当にそうでしょうか?

SNSという新しい暴力装置:精神攻撃の方が「安全」という皮肉

「ナチズム前夜」の原田先生の話で気づいたんですけど、暴力の形って時代とともに変わってるんですよね。

昔の暴力といえば、殴る蹴るの物理的なもの。ナチスの突撃隊(SA)も街頭で共産党員と殴り合いをしていた。でも、これって、今の時代に警察の前でやったら即逮捕じゃないですか。

ところが現代は違う。SNSでの罵詈雑言、集団リンチ、誹謗中傷。精神的な暴力が主流になってきた。しかも厄介なことに、これって物理的暴力に比べて「捕まりにくい」んですよね。

名誉毀損で訴えることはできるけど、民事だし、よっぽどひどくないと警察も動かない。つまり、攻撃する側からすれば、精神攻撃の方が「安全」なんです。

実際、SNSを見てると、中高年男性が極端な意見を叫んだり、ひどい誹謗中傷をしているのをよく見かけます。これも一種の「見えにくい暴力」が噴き出している状態なのかもしれません。

経済危機が生む「単純な悪者探し」の恐怖

暴力を考えるにあたって、やっぱり考える必要があると思うのが経済だと思うんですよね。

1929年のブラックサーズデー(世界恐慌)など、大きな変動が起こって経済が破綻すると、人々はその原因探しをしますよね。特に、「この困窮は誰のせいだ?」と単純な悪者を外に探し始める。そして何らかのスケープゴートを見つけてその人たちを叩く。マイノリティや移民はこういう時にターゲットになりやすい。ワイマール共和国時代のドイツも同様で、ナチスは最初、せいぜい10議席くらいの泡沫政党だったのに、経済危機の中で突然100議席も取って第2党になる。

これ、他人事じゃないと思いません? 今の日本だって、もし国債の買い手がつかなくなって金利が急上昇したら? 変動金利で住宅ローン組んでる人なんて、一気に生活が厳しくなってしまうかもしれない。

そうなった時、人々は「誰のせいだ」と探し始める。そして、暴力的な解決策を提示する政治家に投票してしまう。今もターゲットは、財務省だったり外国籍の人々だったりしますが、「あの人たちが問題だ」という言説に人々が耳を傾け始めています。歴史は繰り返しますね。

トランプのイラン核施設攻撃に「よくやった」と思う心理

つい先日(2025年6月21日)、トランプ大統領がイランの核施設をバンカーバスターで攻撃しました。地下深くの施設を破壊するという、まさに暴力による問題解決です。

このニュースを聞いて、正直なところ、どう感じましたか? 「よくやった」という感覚は湧いてきませんでしたか?

人間の本能には、強いリーダーが暴力で秩序を保つことを求める部分があるんじゃないかと思ってます。たとえて言うなら、猿山のボス猿が、ケンカする子分たちをぶん殴って黙らせる。それで平和が保たれるなら、それでいいじゃないかって。

ホフステードの文化論でいう「権力格差」が高い社会が多いのも、この本能と関係があるのかもしれません。強い権力が問題を解決するのだから、権力の分布が不平等であるのは当たり前だ、と感じる。民主主義って、実はすごく脆弱なシステムなんですよね。

まとめ:伏流水はいつ噴き出すかわからない

というわけで、今日は『ナチズム前夜』から現代社会を考えてみました。暴力は伏流水のように社会の底を流れていて、経済危機みたいなきっかけがあれば、いつでも噴き出す可能性がある。SNSという新しい暴力装置も生まれているし、私たちの本能も「強いリーダー」を求めている。

私たちは今、瀬戸際の入口に立っているのかもしれません。でも、歴史を知ることで、少なくとも、ほっておくと社会がどうなるかは予想することが出来る。同じ過ちを繰り返さないようにできるはずです。

もしこの記事を読んで「自分の周囲でも似たようなことが…」とか「SNSの暴力、たしかに怖いよね」と思った方がいたら、ぜひSNSでシェアしてコメントください。みんなで考えることが、暴力を制御する第一歩かもしれませんから。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。もうすぐ家に着くので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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