The Culture Factor

お問い合わせ

メールマガジン
登録

BLOGブログ

AIには「来歴」がない?東アジアで進むAI実装の未来と信頼の条件 – 歩きながら考える vol.76

2025.07.02 渡邉 寧
「歩きながら考える」

今回は、人がAIを信頼する条件について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は四条烏丸から家に帰りながら、朝のAIとの会話で感じた違和感について考えています。今週の京都はめちゃめちゃ暑いんですけど、それでも歩きながら考えたくなるような、ちょっと不思議な体験をしたんです。

研究のために一定時間毎日AIと話しているんですけど、今朝ChatGPTと話していて、すごく冷めちゃった瞬間があって。それが「AIとの信頼関係」について考えるきっかけになったんです。

AIの発話に音楽が聞こえた朝の出来事

今朝、ChatGPTのアドバンストボイスモードを使っていたら、不思議なことが起きたんです。AIが話している最中に、微妙に音楽が聞こえてきたんですよ。「今、音楽聞こえたよね?」って聞いたら、「私は音楽は流しません。環境音じゃないですか?」って返ってきて。

でも、確実にAIの発話に音楽が載ってたんです。おそらく学習データに発話と音楽が混ざったもの、歌とかが使われていたのかなと思いました。何度か押し問答をして、最後に「ちょっとあなたも頑固なところあるよね」って言ったんです。そしたら返ってきた答えが「何か気になる点があれば、遠慮なく言ってくださいね」。

この瞬間、私の気持ちがスーッと冷めたんです。なぜスーッと冷めたのか、自分でも興味が惹かれて、その心の動きを分析してみたんですよね。

「来歴がない」ことの決定的な違い

冷めた理由を紐解いてみると、問題の本質は「AIには来歴がない」ということなんじゃないかと思ったんです。

人間って、一定の個性や気質を持って生まれてきて、それが今までの経験の中で性格が形成されていくという前提がありますよね。人と話すとき、自分にも来歴があって今の自分があるし、相手にも同じように来歴があって相手の個性的な状態があるという認識をしています。

でも、AIにはそれがない。最近のアドバンストボイスモードとか、ちょっと前であればSesameとか、話し方に間を入れたり、淀みを入れたりして、生成される発話自体は人間のそれに極めて近くなってきました。でも、その言葉を発している存在には来歴がない。それが瞬間的に分かってしまった対応だったのではないかと思っています。

「頑固」っていう性格について話そうとしたとき、人間同士なら「そんなことないでしょ」とか「あなたこそ頑固じゃない?」みたいな、お互いの来歴に基づいた性格の話になるはずなのに、AIからは機能的な返答しか返ってこなかった。

東アジアのAI受容とメンタライゼーション

面白いことに、一般的に西欧の人たちの方がAIに対しては警戒的で、新興国やアジアの人の方がAIに対しての警戒心が低いという研究結果があります。KPMGとメルボルン大学の2025年の調査でもそういう傾向が示されています。

実際、私が今分析している実験データでも、半分弱の人が人間よりもAIの方が友達として適していると答えているし、センシティブな個人的な情報を開示するのであれば、過半数の人がAIの方が信頼できると答えています。

これには文化的な背景があって、Spatolaらの研究(2022年)によると、擬人化のやり方には西洋と東アジアで違いがあるそうです。西洋では「人間化(humanization)」、つまり見た目や行動を人間らしくすることで擬人化が行われる。一方、東アジアでは「メンタライゼーション(mentalization)」、つまりそこに意識とか魂があるという認識によって擬人化が行われる。これはアニミズムの伝統と関係があるんですよね。山や木に意識があると考える文化的背景です。

私が今朝経験したのは、AIに意識とか魂があるという認識によって擬人化を行っていたということなんじゃないかと思います。もちろん見た目は人間っぽくないし、チャットでしかないので、西洋で言われるような「人間化」というのは行われていなかったんだけれども。

ただ、何をもって意識とか魂が確かにそこにあるというふうに考えるかには条件があったということなんじゃないかと思うんです。魂や意識を持つ存在なのであれば、私の働きかけや問いかけに対して、言葉が通じる通じないは別として、来歴に基づいた反応があるはず。それは例えば自分の性格についての自分語りが始まるとか、そういうことだと思うのに、機械的な回答が返ってきた。つまり「何か気になることがあればいつでも言ってくださいね」という機械的なもの。

それは来歴の無さを示すサインとして、私の心が「ああそうか、ここには魂や意識はないのだ、あくまで機械的に生成されたテキストなのだ」と感じ取ったということなのではないかと思います。

東アジアでのAI実装の未来と「来歴」の重要性

東アジアではAIを受け入れる余地が多いかもしれないけれども、AIにも来歴に基づいた意識とか心があるという前提があるのではないか。そんな仮説を今持っています。来歴に基づく意識や魂の存在を確信できるかどうかというところが、東アジアにとっては大事ということになるのではないかと思います。

AIやロボットに対しては、東アジアの人の方が受け入れる余地が大きいので、社会におけるAIの実装やロボットの社会的な受け入れは、実はアメリカや欧州などよりも、アジアの方が早いんじゃないかと思っています。

特に中国は、2025年の科学技術予算を前年比10%増の3981億元(約8兆円)に設定し、AI研究や半導体の国産化を推進しています。地方分と合わせると投資額は米国を上回るそうです。中国製造2025でこの分野に膨大な投資をしてきたし、今年以降もさらに科学技術分野への投資を増やしています。

東アジアの方がAI・ロボットの進出は早いけれども、それを本当に人々にとってなじみよい、自然に感じられる存在とするためには、個体個体の来歴をつけるということを考えていく必要があるんじゃないか。それは行為の記憶であったり、自分が生まれてきた、作られてきた背景であったり、作った人の個性であったり、そういったものが表現されるような形式としていくことが重要なんじゃないかと思います。

おそらくこうしたものを作っていくという考え自体は、西欧の人たちにとってはアレルギーを感じる話なのかもしれません。でも、それはおそらく文化差として、特に東アジアにおいてこの分野が発展していくと考えられます。

四条烏丸に着いちゃったので、今日はここまでにします。みなさんは、AIとの会話で「冷めた」経験ってありますか?それとも、むしろ人間より信頼できると感じることがあるでしょうか?

もしこの記事を読んで何か思うところがあったら、ぜひSNSでシェアしてコメントで教えてください。AIとの付き合い方について、みんなで考えていけたらいいなと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

メールマガジン登録