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今回は、名古屋でエスカレーターの片側をあける習慣が無くなりそうという件について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は家のリビングをぶらぶらしながら、日本の「当たり前」が変わる瞬間について考えてみたいと思います。
先日、毎日新聞でエスカレーターの慣習についての興味深い記事を読みました。名古屋で、長年続いてきた「右側を空ける」という暗黙のルールに変化が起きているという話です。今日はこの記事から、なぜ名古屋で右側を空ける長年の習慣が変化しそうなのか、考えてみようと思います。
名古屋で右側空けの慣習に何が起きているのか
エスカレーター立ち止まり、名古屋でなぜ定着?という記事によると、名古屋でエスカレーターの利用方法に大きな変化が起きているそうです。
エスカレーターに立ち止まって乗る人は78.7%から94.8%に増加。そして注目すべきは、急ぐ人のために空けていた右側に立つ人が、7.6%から23.6%に増えたということ。つまり、今まで誰も立たなかった右側に、4人に1人近くが立つようになっているんです。
名古屋市は2023年に条例を施行し、AIセンサーで歩く人を検知して「条例違反です」と音声で注意したり、「STOPしてね」と書かれた大きな手形を背負った「なごやか立ち止まり隊」が右側に立って、物理的に歩けなくするという積極的な介入をしています。
この記事を読んで私が考えたのは、果たしてこの23.6%という数字で、長年続いた「右側を空ける」という慣習は本当に変わるのか、ということです。
なぜ右側に立てないのか – 見えない罰則への恐れ
そもそも、なぜ私たちは右側を空けているんでしょう?
「急いでいる人のため」というのが表向きの理由。でも正直、そんなこと考えて空けている人、どれくらいいるでしょうか。ほとんどの人は「みんながそうしているから」という理由で左側に寄っている。そして、もう一つ重要なのは、自分一人がそのルールを破ると何か悪いことが起こる、罰則が課されるような気がするから、という恐れもあるんじゃないでしょうか。
右側に立つと舌打ちされたり、「邪魔だ」と言われたりする可能性がある。実際にそのような態度を取られることは、もしかしたらそんなにはないかもしれないけれども、ただ、そういうことが起こるような気がする。これが見えない罰則として機能している。
ホフステードの研究では、日本の集団主義スコアは46で世界の中間くらいですが、日本では、周囲に合わせて自分の行動を決めていくという傾向が強く見られます。
日本の社会を分析するときに重要になってくることは、多くの日本人が「自分の考えで周りに影響を与える」のではなく、「周りを見て自分を合わせる」という行動原理が強いということ。個人の信念や考えよりも、その場の空気や周囲の期待に応じて行動を調整する。この視点は、社会の様々な集団現象を理解する上で根本的に重要だと思います。
山岸俊男が示した「環境と戦略」の関係
ここで参考になるのが、社会心理学者の山岸俊男先生の考え方です。
山岸先生は、いじめが起きるクラスと起きないクラスを例に、文化や集団行動の違いを説明しています。重要なのは、子どもたちの優しさの違いではなく、環境に対する最適戦略が異なることで集団的な行動の差が生まれるということ。
例えば、「いじめはおかしい」と声を上げるかどうかには個人差があります。周りが誰も同調しなくても声を上げる人もいれば、多くの人が同調してくれないと言えない人もいる。この個人差がある中で個人の分布がクラスによって微妙に異なり、その初期の配置によって、「いじめはおかしい」という声が広がるかどうかが決まってくる。
これをエスカレーターに当てはめると、「右側に立ってもいい」と思い始める基準は人によって違う。10%の人が右側に立っていれば大丈夫と思う人もいれば、30%、40%にならないと安心できない人もいる、と言う話になります。
3割を超えたら何が起きるか – 臨界点の存在
今、名古屋では23.6%の人が右側に立っています。私の感覚では、これが3割くらいになると、一気に「右側に立っても問題ない」と思う人が増え始めるんじゃないかと思います。なぜ3割なのかっていうところに、あんまり根拠はないんですが(笑)。
ただ、3割の人が右側に立っていれば、どのエスカレーターでも必ず誰かが右側にいる状況になる。そうなると、現状の参照点が変わる。今までは「誰も立っていない右側」が基準だったのが、「誰かが立っている右側」が新しい基準になる。
そして一度この臨界点を超えると、あとは雪だるま式に変化が加速する。4割、5割と増えていき、最終的には「両側に立つのが当たり前」という新しい慣習が定着する。
変化を起こすには粘り強さが必要
ここで重要なのは、臨界点を超えるまで政策的な介入を続けることです。
埼玉県の例を見ると、条例施行後一時的に効果があったものの、1年後には元に戻ってしまったそうです。おそらく、臨界点に達する前に人々の注意が薄れ、元の慣習に引き戻されてしまったのでしょう。
名古屋の23.6%という数字は、もしかしたらまだ大きな変化の前かもしれません。でも、人の心の動きとして、周囲を観察し、自分の最適戦略を決めていくという動きがある中で、日本人の場合は、かなり多くの人がそのような行動をとっていないと、それが自然で自分がとっても問題ない行動とは考えないという傾向があるのではないかと思います。
どれくらいの人がその行為を行うと「それを行っても問題ない」と思うかは人によってばらつきがある。だからこそ、表面的には大きな変化が見られなくても、政策をやめないことが大事。臨界点を超えるその瞬間まで、粘り強く続けることが社会を変える鍵になる。
名古屋の実験は、まさにその実証実験。エスカレーターという身近な例から、社会の慣習を変えるには何が必要なのかが見えてくる。変化の兆しが見えたからといって手を緩めるのではなく、臨界点を超えるまで押し続ける。それが、長年の慣習を変える唯一の方法なのかもしれません。
みなさんの街では、右側に立つ人、見かけますか?もしこれからも増え続けたら、それは社会が変わる瞬間を目撃することになるかもしれませんよ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い