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今回は、博士課程への生活支援を日本人に限定する方針を文科省が示した件について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は大学のキャンパスを歩きながら、参議院選挙の候補者の主張について考えています。最近、外国人排斥を訴える候補者が複数の政党から出てきているのを見て、この問題の背景にある感情や社会問題について、もう少し深く考えてみたいと思って、ちょっと集中してこの話題を取り上げています。
最近の外国人政策の中で気になったのが、博士課程進学者への生活費補助を日本人限定にするという文科省の方針です。「外国人に金を使うな」という声に押されて政策が変わってしまったのでしょうか。おそらく、大学学費が上がったり、負担が増えているところで、恵まれた助成を受けている外国人学生が居るのを見て「優先順位がおかしい」という声が大きくなっているのだろうと思います。そう言いたくなる気持ちは分からないでもないのですが、博士課程学生への生活補助を日本人限定にすることで何か状況が良くなるのでしょうか?
「安い労働力」と「高度人材」は全く別の話
前回までのブログで、建設業や介護などエッセンシャルワークの分野で、日本人の半分の賃金で外国人労働者を雇ってきた問題について書きました。社会的不満が溜まりやすい低賃金労働の条件で働く外国人の数が増えたら、確かにどこかのタイミングで不満が爆発するかもしれない。ただ、これは外国人問題というより、最低賃金等の労働条件の問題ではないかという話をしました。
一方で、今回取り上げている博士課程の留学生って、これとは全く違う話なんですよね。
博士課程に来る留学生は、将来の研究者や高度専門職を目指す人たち。もし、継続して日本で研究や教育に携わってくれるのであれば、AIやバイオテクノロジー、新材料開発など、日本の競争力に直結する分野に大きく貢献してくれるかもしれません。こういう人たちまで「外国人」という一括りで排除しようとするのは、ちょっと違うんじゃないかと思うんです。
今回、博士課程進学者への生活費補助の約4割を外国人が占めていて、その7割が中国籍だったことに対して批判が集まったわけですが、そうなった原因の背景は、そもそも博士課程を目指す日本人が少ないからです。今回やり玉に上がったJSTの次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)は、まずJSTから大学に予算が充てられ、大学が対象となる学生に支給をするわけですが、日本人の応募が少なければ、外国人に支給されることになります。
であれば、そもそもなんで日本人の博士課程進学者が少ないのか、そこを考えないといけないんじゃないでしょうか。
メンバーシップ型雇用が博士を評価しない理由
ちょっと立ち止まって考えてみましょう。なんで日本人学生は博士課程に進まないんでしょうか?
答えはシンプルです。博士号を取っても、キャリア上大きなメリットがないから。
日本の企業は戦後ずっとメンバーシップ型の雇用を維持してきました。このシステムでは、取得している学位に応じた専門的なポジションで採用するわけじゃないですね。入社した後も、その専門分野の仕事だけをやるわけじゃない。ジョブローテーションを繰り返しながら、社内のネットワークを作り、業務の全体像を理解していく。
結局、学部卒で22歳で就職した人の方が、博士号を取って27歳で就職した人より、5年も早く社内に精通できる。この差は大きいんです。より早く活躍の機会が増えるし、出世競争でも有利になる。もちろん、さすがに、特に技術・科学系の職場では博士号取得者を学部卒と同じように扱うわけではないと思いますが、ジョブローテーションをしながらOJTで仕事を学び、出世する上で必ずしも博士号は必要とされない。
一方、欧米のようなジョブ型雇用では全然違いますね。経営幹部を目指す人の多くがMBAを取得し、大学の上級管理職(学長、学部長など)や研究開発・調査部門では各領域の博士号が望まれることが多いなど、ポジションに応じた学位や資格が重視されます。だからキャリア構築の一環として高い学位を取るのが一般的になっています。
現状で日本の博士課程に進む人は、学問的な興味関心が極めて強かったり、大学の教員を最初から目指す人を除いて、キャリア構築の観点からその道を選ぶということは考えにくいですね。
外国人留学生も結局は日本から流出
じゃあ、外国人留学生はどうか。生活費補助があるから日本に来て、頑張って博士号を取る。でも、卒業したらどうなるか?
結局、日本人と同じ問題に直面するんです。日本企業は博士号を必ずしも評価しない。専門性に見合ったポジションがあるかどうかも分からない。収入アップの程度も無いわけでは無いけれど、博士の専門性に見合ったものかどうかはかなり微妙。さらに、少子化に伴って大学の教員ポジションも減少傾向にあるので、アカデミアでの就職機会も限られている。
そうなると、せっかく日本で博士号を取った外国人も、結局は海外でポジションを探すことになる。欧米の企業や大学なら、博士号に見合った処遇を得られる可能性が高い。
投資効果が見合わない現実
歩きながらこんなことを考えていたら、研究棟の前に来ました。
現状の日本の大学の博士課程で起こっていることはこんな感じなのではないかと思います。もちろん、大学によって色々違いがあると思いますので、一概にこうとは言い切れない部分はありますが。日本の税金で育てた高度人材がそのまま海外に流出し、海外企業でポジションを見つけるのであれば、何のために海外から人材を呼び寄せて投資をしているのか、その投資効果は極めて限定的と言わざるを得ないのかもしれません。
もちろん、海外に流出したとしても、その後の共同研究で繋がりは続くし、知日派になるといった効果があるのだろうとは思います。でも、それがもともとの政策目標だったのでしょうか。やはり、日本に長く居住してもらい、ひざを突き合わせて研究や教育に携わってもらえる人材を増やしたいのではないでしょうか。現状の財政状況や日本の国力を考えると、今の投資の仕方は一般国民としては納得しにくいというのが本音じゃないでしょうか。
こう考えると、本当に必要なのは、博士号取得から雇用まで含めた全体的なシステムの改革なんだと思います。システム全体の最適化をして、日本社会で活躍してくれる外国人が増えないことには、「外国人優遇はけしからん」という感情論を止めることは出来ないと思います。
システム全体を見ない政策の危うさ
キャンパスを出て、駅に向かいます。
結局、「外国人に金を使うな」って言って日本人限定にしたところで、そもそも日本人の博士課程進学者が増えるわけじゃない。メンバーシップ型雇用が変わらない限り、博士号にキャリア上のメリットがないという構造は変わらない。
むしろ、優秀な外国人留学生も来なくなって、研究室の活力が落ちるだけ。日本の研究力がさらに低下する悪循環に陥る可能性すらある。一方で、現状の雇用環境では、優秀な外国人留学生が継続して日本でキャリア構築を目指すインセンティブが少ない。ここを改善しないと、外国人優遇を止めろという庶民感情を納得させることは出来ない。
みなさんはどう思いますか?博士課程の問題、外国人の問題、そして日本の雇用システムの問題。ぜひご意見を聞かせてください。SNSでシェアしていただけると嬉しいです。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い