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居場所を求める日本人、人情を求める中国人:東アジアの集団主義を考え直す – 歩きながら考える vol.87

今回は、日本と華僑圏の集団主義の違いについて。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は研究棟から鴨川の近くまで歩きながら、最近研究室であった興味深い会話について考えてみようと思います。台湾からの留学生との雑談が、日本と中国の文化の深い違いについて考えるきっかけになったんです。歩きながら、ゆるく話してみますね。
留学生の比較研究が教えてくれたこと
研究室に台湾から来ている博士課程の学生がいるんですけど、彼は日本、台湾、アメリカの比較研究をしているんです。で、先日話していて興味深いことを言われました。
「日本の職場って、中国で言うところのレンチン(人情)の関係をあまり求めないんじゃないですか」って。
レンチンというのは、情を持った関係性のことです。彼の観察では、日本と台湾・中国を比較したとき、職場で情によって結ばれた深い人間関係を作るかどうかという点で、大きな違いがあるんじゃないかと。
これ、聞いた瞬間「あ、確かに」って思ったんですよね。
アジア内の文化差研究が足りていない
ここでちょっと学術的な話になりますが、文化心理学って長らく「東洋vs西洋」という枠組みで研究されてきたんです。で、その「東洋」の代表として日本が使われることが多かった。アメリカと日本を比較して、「ほら、東洋と西洋はこんなに違う」って。
でも、今回の留学生との会話で改めて思ったのは、東アジアの中でも全然違うじゃないかということ。日本、中国、韓国、台湾、それぞれに独自の文化的特徴があって、「集団主義」の中身も全然違う。
ホフステードの文化次元理論とかも、もっと細かく見ていく必要があるのかもしれません。「アジアは集団主義」で終わらせちゃうのは、あまりにも雑すぎる。アジア内比較の研究もあるにはあるのですが、こういう視点での研究がもっと必要だと思うんですよね。
なぜ中国の人は「個人主義的」に見えるのか
日本の職場でよく聞く話なんですけど、「中国の人って個人主義的だよね」という声があります。給与交渉とかボーナスの要求とか、はっきり言うじゃないですか。
今まで多くの場所でなされてきた説明は、内集団と外集団の違いです。内集団の人には優しいけど、外集団に対しては割ときつい要求をするから個人主義的に見える、と。
でも、今回もう一つの可能性に気づいたんです。
率直な対話をすることが、実は深い人間関係を作るための方法なんじゃないかって。特に上下関係ではなくて平等な関係の中では、ストレートに物を言い合うことで、お互いの本音を知り、深いレンチン(人情)の関係が作れる。激しい議論も、実は関係構築のプロセスの一部なのかもしれません。
感情的な結びつきか、場所か
ここで面白いのは、感情的な結びつきによって担保された人間関係をどれだけ必要とするかが、同じ集団主義の中でも違うのではないかということです。
日本の場合、実はそこまで感情的なつながりが必要とされていないのかもしれません。それよりもむしろ、「場所」が必要なのではないか。安定した居場所があれば、そこで穏やかに過ごせる。深い情の関係がなくても、その場所での役割を果たしていれば良い。
一方、中国や台湾では「場所」よりも「人」。どこにいても、情で結ばれた人間関係があれば生きていける。だから、その関係を作ることに全力を注ぐ。
地理と歴史が作った価値観の違い?
これは完全に根拠のない仮説なんですけど、この違いには地理的・歴史的な背景があるのかもしれません。
日本の場合、国土が狭いですよね。人を追い立てて流浪させるとか、どこかに追いやるということは、歴史的になるべく行わないようにしてきたのかもしれない。追いやられたら行く場所がないってみんなわかってるから、全員がそういう状況にならないようにしてきた。
東大の歴史学者の本郷和人先生が言っていてなるほどと思ったのですが、「天皇制というのは土地の権利を認めていくということの最終的な承認者みたいな役割」という解釈があるようです。日本では、今ある土地を保全するということに歴史的に社会全体が全力を尽くしてきたのかもしれません。
一方、中国の場合は国土が広い。王朝が変わったりすると土地を追われることも普通で、追われたら別のところに行くしかないという状況を何度も経験してきたのかもしれない。そういう歴史の中で、頼れるものは情によって深く結ばれた人間関係だけ。だから、そういう文化が育まれたのではないか。
完全に根拠のない仮説ですけどね(笑)。でも、こう考えると、なんか腑に落ちる部分があるんですよね。
まとめ:集団主義の中身を見つめ直す
というわけで、今日は台湾からの留学生の研究から始まって、日本と中国の文化の違いまで考えてみました。
同じ「集団主義」と言われる文化でも、その中身は全然違う。日本は「場所」を大事にし、中国は「人間関係」を大事にする。この違いを理解することは、異文化コミュニケーションだけでなく、自分たちの文化を理解する上でも重要だと思います。
研究室に戻ってきたので、今日はこの辺で。みなさんも、身近な異文化の人との会話から、新しい発見があるかもしれませんよ。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い