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共産党の党名問題から考える、次世代の経済体制とコミュニティの形 – 歩きながら考える vol.89

今回は、ネガティブなイメージがある「共産党」「共産主義」について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日はちょっと散歩しながら、先週の参議院選挙のことを考えていたんですけど、そこから思いがけない方向に考えが広がっていったので、その話をシェアしたいと思います。
京都で聞いた、共産党の「意外な」話
京都に住んでいると、共産党が伝統的に強かったということもあって、飲み会で隣の人と話をしたりしても、共産党の候補を応援しているという人の話を聞いたりすることがよくあります。
で、田村智子委員長の話を聞く機会があったんですけど、興味深いなと思ったんですよね。何が興味深いかっていうと、「私たちは政治体制としての共産主義の話をしているわけではなくて、経済体制としての共産主義の話をしているんです」って言ってたこと。
でもこの話、一般の人に全く伝わってないですよね。
だって、共産党と聞いた瞬間に、多くの人は「武力的な革命で現状の政治体制を転覆し、私有財産や生産手段を共有化する共産主義を目指している人たち」っていうイメージを持っちゃう。
一方で、実際の共産党の人たちの話を聞いていると、そういう雰囲気は一切感じません。単に社会保障の政策に関して、より弱者保護の政策が取れないのかということを言っているようにしか見えない。例えば、OTC薬の保険適用を外して受益者負担を上げるくらいなら、むしろ今以上に軍事費を上げることを外交的努力で回避して、手厚い医療サービスを維持することを選択した方がいいんじゃないか、というような税金の使い方に対する一つの考え方を提示しているだけにしか見えません。
でも一方で、共産党という名前については、強固なネガティブイメージがあるということは否定できない事実としてあるんじゃないかと思います。これは一体何なのか、探ってみる価値があるんじゃないでしょうか。
なぜ共産主義は「権威主義」と結びついたのか
この共産主義にまつわるイメージについては、オランダの社会心理学者ヘールト・ホフステードが面白いことを言っています。
何が面白いかというと、ドイツ人のマルクスがイギリスで書いた資本論が、「悲劇的にも」権力格差の高いロシアに輸出されたということですね。
もともとマルクスが描いた共産主義は高い権力格差とは関係が無いのですが、レーニンの「前衛党」を経て次第に権力格差の高い政治体制を前提とするようになり、スターリン時代に極めて強い中央集権的な官僚制度として固定化されました。その後のスターリンの元のロシアで、粛清を始めとする強大な中央の権限が末端を厳しく管理したということを、我々は歴史の授業で習っているわけです。
そしてロシアを経由して中国に行き、文化大革命のような中央集権的な政策の中で、極めて大きな経済的困難や生活の困窮があったということも、これもやはり我々は歴史の授業で習っているわけです。東欧においても独裁体制が長く続きました。
つまり、共産主義体制はホフステードの権力格差の指標でいうと、権力格差が高い文化圏において長く取られてきた体制で、そのため、「共産主義=権威主義」というイメージが固定化された。これに対し、そこまで権力格差が高いわけではない日本や他の西側諸国から見ると、共産主義に対する価値観的な違和感があるということをホフステードは言っているんです。
ここで気づいたのが、人って政策の詳細なんてあんまり見てないってこと。「ヒューリスティックス」っていう簡単な判断基準で評価しちゃうんです。「共産党」って聞いた瞬間に「独裁国家!」「危なそう!」ってカテゴライズしちゃう。政策がどんなに普通でも、名前で判断されているのはほぼ間違いないと思います。
新しい経済体制の可能性はすでに見えている
この共産党という名前で損をしているというのは、現実に将来の可能性を考えるとちょっともったいないと思うんですよね。
なんでもったいないかというと、現状の資本主義とは違う形の経済体制を作っていく可能性が、実はすでに見え始めているし、それを考える上ではマルクスや共産主義の骨組みが参考になるからです。
例えば、コペンハーゲンやイギリスで事例が見られるエネルギー協同組合。資本家や投資家が別にいる株式会社がエネルギーを作って販売するわけじゃなくて、エネルギーを使う自分たちが会社を作り、株主でもあるっていう形式です。
この形態の何が良くて、新しい可能性に見えるかというと、これがコミュニティの利益に直結するところです。つまり、経営の効率を上げて電力生産コストを下げれば、電気料金の値下げという形で自分たちにメリットがある。利益が出れば、株主配当として自分たちにお金が返ってくる。
これは生産手段の共有化という面から言うと、共産主義に近い経済運営の方法かもしれない。
エネルギーや食料、医療など、どのみち自分たちが使うものは、コミュニティ内で運営する方が住民全体のメリットになるって、考えてみれば、ごくごく自然なアイデアではないでしょうか。
日本でも、地震大国だから地熱のポテンシャルがある。温泉地域じゃなくても地熱を活用する技術が進んでるから、こういった技術を活かして、コミュニティでエネルギー会社を運営するっていうのも、次世代の経済体制やコミュニティ運営のあり方として考えられるかもしれません。
古い文献も新しい発想の糧に
というわけで、今日は共産党の党名問題から始まって、次世代の経済体制まで考えてみました。
単純にヒューリスティックで「学ぶべき価値のないもの」としてマルクスや共産主義を判断するというのは、ちょっともったいなくて。過去の重要文献の一つとして参照しつつ、新しい次世代の経済体制を考えていくというふうに使えないでしょうか。
古い器にとらわれずに、でも過去の知恵も活かしながら、新しい形を考える。そういう柔軟な発想が、これからの時代には必要なんじゃないかなって思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い