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選挙結果から見えた日本の「男性性」:社会保障をめぐる冷たい議論について – 歩きながら考える vol.91

2025.07.24 渡邉 寧
「歩きながら考える」

今回は、男性性・女性性の観点で医療保険制度について考えます。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は夕方の散歩をしながら、先日の参議院選挙について考えたことを話してみようと思います。今回の選挙、大きなイシューは途中から外国人問題になってしまった感もありますが、その背後で社会保障に関する議論もありました。その社会保障に関する各党の主張を聞いていて、やっぱり日本って男性性が高いのかなというふうに思うところがあったので、今日はその話をしてみます。

社会保障をめぐる各党の主張と選挙結果

今回の選挙では、あまり大きく議論されたわけではないんですが、社会保障について日本維新の会が積極的に取り上げていました。

日本の医療保険制度は、基本的には各健康保険組合内での給付になっているんですが、その一部が高齢者の医療費負担に使われています。75歳以上の後期高齢者については現役世代からの支援金と公費で約9割をまかなうという仕組みで、現役世代が加入する健康保険から拠出金として支出されているんですね。高齢化が進む中で、この負担がどんどん重くなっているのが現状です。

維新が言っていたのは、手取りを増やすために社会保険料の引き下げをする、その原資として受益者負担増をするということでした。

この主張に対して、同じように受益者負担増を言っていたのは国民民主党、参政党、チームみらいでした。国民民主は高齢者の自己負担額を上げる方向で議論、参政党は終末医療の全額自己負担、チームみらいは高齢者の自己負担を現役世代と同じ3割にするという主張をしていました。

今回の選挙では、こうした受益者負担増を主張した政党が議席を獲得しました。国民民主は17議席へ、参政党は14議席へ、チームみらいは新たに1議席を獲得しました。

一方で、受益者負担増に対して明確に反対していた、もしくは慎重な姿勢をとっていた野党もありました。共産党、立憲民主、社民党、れいわ新選組です。これらの野党は、それぞれ議席を減らす、もしくは伸びが停滞したという状況でした。与党の中でも公明党は高齢者の医療費負担については慎重な立場をとっていましたが、議席を減らしました。

ホフステードが見た日本の「男性性」

伸びた政党は受益者の負担増を掲げていて、伸びなかった政党は受益者負担の現状維持を主張していた。この結果を見て思い出したのが、オランダの社会心理学者ヘールト・ホフステードの文化次元における「女性性・男性性」という文化次元です。

ホフステードによると、「女性性」の高い社会では、弱者への思いやりや生活の質により関心が払われます。今回、議席を伸ばせなかった政党が言っていた内容は、まさに女性性的な政策と言えるかもしれません。弱者がその政策によってどう影響を受けるかということにまず関心を置くという意味です。

一方で、「男性性」の高い社会では、競争や成功、強者のパフォーマンスに社会的な関心が向けられます。躍進した政党は、もしかしたら男性性的な価値観なのかもしれません。弱者の話というよりは、経済成長をどう進めていくのか、効率をどう高めてより効果的な行政であるとか経済を作っていくのかということをメインに議論しているように見えるからです。ちなみに、ホフステード指標では、日本は、この「男性性」が世界で最も高い(95)国の一つです。

「痛み」の現実に対する想像力

男性性的な成長の議論も女性性的な弱者のケアの議論も、政策としては両方重要なのですが、今回の選挙の得票を見ると、男性性的な主張の方が人気を博したということなのかもしれません。

ここでちょっと弱者に対する想像力、つまりは女性性的な視点の解像度を上げるために、弱者にどのような痛みがあるのかを考えてみましょう。

高齢者の自己負担を3割に上げるとか、OTC薬を自己負担にするとか、簡単に言いますけど、これ相当きついですよ。

まず若い人の話。例えば、アレルギー等の持病があって、それらの薬が保険適用から外れるということは、薬価が3倍になるということですね。月3,000円で済んでいた薬代が、いきなり9,000円になる。余裕がある人は良いかもしれませんが、生活がギリギリの若い人にとって、この負担増は相当大変です。

そして高齢者の場合も深刻です。高齢者の場合、年を取れば体の不調が増えるため、通院したり治療を受ける頻度が上がるじゃないですか。貯蓄が無くて働いてなくて、年金生活のケースを考えてみてください。これは不安でしょうがないと思いますよ。収入は増える見込みは無いのに、年々身体の具合は悪くなり、更に医療費が上がりそうと予想されるわけだから。

食費等のその他の生活コストは、もしかしたら何とかやりくりをする余地が残っているかもしれない。でも医療費に関しては、やりくりしようが無いじゃないですか。痛かったり痒かったりするわけなんだから。もうすごく痛いんだけど病院にかかるお金がないから、その痛みを我慢するとか、痒くて眠れないんだけど病院にかかるとお金がかかるから、その痒みを我慢するとかっていう話になっちゃうじゃないですか。それって相当辛くないですか。

世代間格差と「丁寧な議論」の必要性

確かに、世代間の負担の差は明らかです。今の現役世代にとって不公平感はあるでしょう。「今のシニア世代は払った額よりも貰っている額の方が多いじゃないか。我々世代はそんなことは見込めないんだぞ」と。しかも今の社会保険負担が厳しいというのは、その通りなんです。

最近読んだ名古屋大学の鄭少鳳先生と石井敬子先生の研究によると、日本人は米国人と比べて「共感的関心」(困っている人への同情や思いやり)が低く、困難や苦痛を「社会規範から逸脱した報い」として理解する傾向があるそうです。高齢者は世代的に支出と給付のバランスで恵まれていたんだから、今負担増になるのは当たり前だ、という意味付けが、もしかしたら無意識的になされているのかもしれません。

でも同時に、高齢者であるとか病気を持った人たちの中にも、いろいろな立場の人がいて、厳しい状況にある人もいるというのも事実です。そういう厳しい状況の人たちがどうなるかということに対して、「それは世代間の不公平の解消のためだから、別に仕方ないでしょう」というまとめ方で処理されてしまうのは、少し冷たいのではないでしょうか。

もうちょっと丁寧な議論をしていけば、これはそもそも現役世代もシニア世代もどっちも辛い。だから、医療費の負担と給付の中だけで話すべき話じゃなくて、他の、例えば防衛費みたいな別の予算とのバランスも考えて優先順位を決めていくという議論になるかもしれないじゃないですか。だけど、もし、弱者の痛みの議論をしなかったら、こういうより大きな包括的な予算の議論にはならない。

要は、男性性が高く、弱者がどういう状況になるかということに関心が薄ければ、より根本的な予算配分の議論にはならないのではないかと思うのです。

繰り返しになりますが、男性性的に焦点が当たりやすい政策課題、例えば経済成長や特定分野への重点的投資、行政の効率化、それ自体は大事なんです。それは否定しません。でも、女性性的な弱者ケアの観点も含めたバランスの取れた議論というのは大事だよね、ということです。

まとめ

というわけで、今日は参議院選挙での社会保障の議論から、日本社会の「男性性」について考えてみました。経済成長の議論も大事、世代間公平も大事。でも、その議論の中で見落とされがちな「弱者の痛み」にも、もう少し想像力を働かせる必要があるんじゃないかな、と思います。

もしこの記事を読んで何か感じることがあったら、ぜひSNSでシェアして、みなさんの意見も聞かせてください。社会保障の問題って、正解がない難しい問題だからこそ、いろんな視点から考えていく必要があると思うんです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。家に着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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