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エモいとキモいの境界線 – 参政党騒動で見えた価値観の断絶 – 歩きながら考える vol.92

2025.07.25 渡邉 寧
「歩きながら考える」

今回は、「エモさ」と「キモさ」は表裏一体であるという話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日はめちゃくちゃ暑いので、室内オフィスのラウンジでブラブラしながら、ちょっと話していきたいと思います。

今週は2025年7月の先週の参議院選挙のことをいろいろ考えていて、今後、価値観の衝突が起こりそうだなという感覚があり、ちょっとした危うさを感じるようになりました。このことについて、「エモさ」と「キモさ」というキーワードでゆるく書いていきます。

参政党への批判から見えてきたこと

きっかけは2025年7月の参議院選挙でした。参政党が14議席を獲得して躍進していく中で、選挙中から参政党に対する批判が新聞等のメディアではよく見られました。

主に批判されていたのは、国に主権があるとする憲法草案や、外国人排斥になりかねない「日本人ファースト」というキャッチコピーに関してだったように思います。そして、参政党に対する批判は、主にリベラル系のメディアやインフルエンサーから多くなされていたように思います。

仮にリベラルが参政党に対して批判していたとすると、ここで、ちょっと考えたいわけです。なぜリベラルは参政党に対して厳しいのか。

価値観の対立を「見える化」してみる

端的に言ってしまえば、それは、参政党の価値観はリベラルの価値観と真逆だからです。この価値観の話をホフステードの文化次元で見ていきましょう。

リベラルの価値観も幅があるとは思いますが、ホフステードの文化次元でいうと、

・権力格差は低く、

・個人主義で、

・女性性が高い、

という組み合わせなんだろうと思います。

ちょっと説明しますね。権力格差っていうのは、社会の中で権力を持つ人と持たない人の間の不平等をどの程度受け入れるかという話。権力格差が低い社会では、上下関係はあくまで役割の違いで、本質的に人は平等だと考える。「偉い人」なんていないよ、みんな同じ人間だよ、っていう感覚ですね。

一方、権力格差が高い社会では、上位者の権威を認めて、階層的な秩序を自然なものとして受け入れる。「お上」には従うものだ、っていう感覚。

権力格差と個人主義は相関するので、権力格差が低くなると個人主義になる傾向が見られます。

女性性・男性性っていうのは、社会が何を大事にするかの違い。女性性の高い社会では、ケア、協力、生活の質、弱者への配慮を重視する。みんなで助け合おう、幸せに生きようって感じ。男性性の高い社会では、競争、達成、成功、強さを重視する。勝つことが大事で、強いことが大事。

で、リベラルは権力格差が低い個人主義であり、女性性が高い。この価値観からすると、参政党の「国に主権がある」っていう主張は、なんか民衆は下にいるように見えて、父権制というか権威主義に見えるわけです。個人主義にも見えない。

また、「日本人ファースト」はマイノリティを切り捨てるマジョリティの論理に見えちゃうわけです。弱者への配慮はどこに行ったんだ?強い人も弱い人もみんなで助け合うんじゃないのか?という強い疑問が心に浮かんでくる。

これはリベラルの価値観的に、全く許せない。

エモいとキモいの不思議な関係

ここで重要なことは、価値観は対極構造になっているということです。

「エモい」「キモい」という言い方をすることがありますが、これは人が反射的に感じる「感情」の話ですね。この手の感情は「価値観」と強く結びついている。要は、自分の価値観とフィットした話は「エモく」聞こえるし、逆にフィットしない話は「キモく」聞こえる。

そして、これが難しいところなのですが、ある価値観の人たちにとってエモいことは、逆の価値観の人たちにとってはキモいことに見えるんですよ。

例えば、参政党の神谷宗幣さんの演説を聞いて涙を流す支持者が今回見られました。彼らにとっては、日本の伝統や権威を重視して、団結して強い日本を取り戻すっていうメッセージがめちゃくちゃ心に響くのかもしれない。つまり、エモさがある。

でも、権力格差が低くて女性性の高いリベラルから見ると、なんか戦前の政治体制は権威主義的で個人が尊重されておらず、価値観的に受け入れられないかもしれない。「日本人ファースト」も弱者を顧みない強さの追求に見えて、価値観として「キモい!」と感じちゃうかもしれない。

逆もまた然り。例えば、れいわ新選組の山本太郎さんが弱者支援を訴えて、聴衆が感極まって泣いてる場面を見たことがあります。女性性の価値観では弱者へのケアはとても大切なこと。だから、すごくエモい。でも、権力格差が高い男性性の価値観からは「自立を否定する弱さじゃないのか?」「みんな我慢して頑張っている中、甘いのでは?」って見えて、キモく感じるかもしれない。

激しい怒りを感じるとか違和感を感じるという感情は価値観に基づいていて、引いた目線で見ると自分が感じる自分の価値観とは逆の価値観があり得るんだということです。

ホフステードで言えば各6つの次元で対極・高低があるということだし、ジョナサン・ハイトの道徳基盤理論で言ってもやはり6つの道徳基盤の各極の高低があるということだし、個人の性格でも同じようなことはあって、例えばMBTIの逆のタイプの言動というのは違和感を持って感じられるということがあるわけです。

攻撃が逆効果になるパラドックス

参政党への批判を見てて心配になったのは、批判の仕方が逆効果になるんじゃないかってことです。

基本的に人間って、外から攻撃されればされるほど、内側の結束が固くなるじゃないですか。学校のクラスでも会社の部署でも、外から批判されると妙に団結したりする。

しかも参政党の中では、「国際金融資本が裏でコントロールしている」みたいなことが言われている。そこに実際にメディアから総攻撃が来たら、「ほら見ろ、国際金融資本に支配されたメディアが自分たちを潰しに来た!自分たちの言ってたことは正しかった!」となってしまうかもしれません。まさに予言の自己成就。

今はまだライトな支持者も多いと思うんです。でも、攻撃が続けば続くほど、どんどん先鋭化していく可能性がある。これ、社会にとってすごくまずいパターンじゃないでしょうか。

価値観を「翻訳」する技術

じゃあどうすればいいのか。私は、「キモさ」を抱えつつ、相手の価値観の枠組みで語りかける「翻訳」が必要だと思うんです。

例えば、外国人への差別的な政策を批判したいとき。「人種差別だ!」って言うだけじゃなくて、権力格差が高くて男性性の価値観に即した言い方も追加する。

「日本の伝統的な『和』の精神では弱い人への配慮もあったのではないか?」とか「真の強さは寛容さにあるのではないか?」とか。

鬼滅の刃って知ってます?映画「無限列車編」で、柱である煉獄さんのお母さんが煉獄さんに「あなたが強く生まれてきた理由は弱い人を守るためです」って言うシーンがあるんですけど、ああいうのは、権力格差が高い集団主義における、「男性性的であり、女性性的でもある」メッセージだと思います。

こういう「翻訳」はすごく難しいし、ある意味で不誠実に感じるかもしれません。自分が直感的に「正しい」と思うストレートなメッセージではなくなるので。でも、本当に問題を解決したければ、自分の価値観だけで「お前らキモい!」って言うだけじゃなくて、相手に届く言葉を探す努力が必要なんじゃないでしょうか。

生活が苦しくて先が見えない時代だからこそ、頼れる集団を求める気持ちはよくわかる。でも、その集団が過激化していくのを防ぐには、お互いの「エモさ」と「キモさ」を理解し合う努力が必要なんだと思います。

もしこの記事を読んで何か感じることがあったら、ぜひSNSでシェアして、みなさんの意見も聞かせてください。異なる価値観の人とどうやって対話してるか、実践的なアイデアがあったら特に知りたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧

博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い

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