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良かれと思った「改善」が老舗料亭の味を変えてしまった話 – 歩きながら考える vol.99
今回は、老舗料亭「なだ万」で、買収後のコンプライアンス対応で働き方改革を行ったところ、料理人の技術が変わってしまったという話に関して。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は駅から家まで歩きながら、ちょっとさっき読んだ新聞記事について考えていたことを話してみようと思います。
7月29日の朝日新聞の記事で、老舗料亭「なだ万」の本店・山茶花荘が閉店するという話を読んだんですけど、これがなかなか考えさせられる内容だったんですよ。なだ万って、1830年(天保元年)創業で、夏目漱石の小説にも出てくるような歴史ある料亭なんですが、2014年にアサヒビールに買収されて、その後どうなったかっていう話。
記事を読んで私が思ったのは、買収後に起きたのは「料理人の大企業社員化」ということなのかな、ということ。つまり、コンプライアンスとか働き方改革の名のもとに、料理人の世界特有の文化が変わってしまったと。で、これって単なる「伝統vs近代化」みたいな単純な話じゃなくて、もっと深い文化の問題があるんじゃないかと思ったんです。
職人文化と会社員文化の根本的な違い
ホフステードの文化次元は、国の文化を数値で表現して比較しているフレームワークなんですけど、日本は「男性性」のスコアが95と、世界でもトップクラスに高いんです。男性性が高い文化では、競争、達成、成功が重視される。
なだ万の厨房って、まさにこの男性性の文化の典型だったんじゃないかと思うんですよね。記事には「先輩から仕事任されてできませんって言ったら、2度と仕事を任せてもらえない」とか「朝早く来て、同僚とその奪い合うように、この魚をおろすのは自分なんだからお前はあっちへ行けみたいな感じで仕事の奪い合い」という描写があって。
これ、現代の感覚で見たら完全にブラックな職場ですよ。でも、ちょっと待ってください。会社員の文化と職人の文化って、そもそも違うものですよね。職人の世界では、極めて高い男性性の文化を持つのが、もしかしたら当たり前なのかもしれません。何百年も続いてきた料理人の世界は、この厳しい競争と個人の技の追求によって支えられてきたのかもしれない。
異なる文化から見ると「問題」に見える
ここで大事なのは、文化そのものに良いも悪いもないということです。ただ、異なる文化から見ると自分たちと違う文化が「問題」に見えることがあるんです。
大企業のマネジメントの観点から見ると、職人である料理人の文化は極めて異質で、働き方はブラックで問題があるように見える。長時間労働、過度な競争、技術の秘匿主義。これらは現代の企業文化、特にコンプライアンスを重視する大企業の文化からすると、明らかに「改善すべき問題」に見えます。
でも、料理人の側から見たらどうでしょう。この競争があるからこそ技術が磨かれ、厳しい修行があるからこそ一流の料理人が育つ。彼らにとっては、これは「問題」ではなく、プロフェッショナルとして成長するための必要なプロセスだったのかもしれません。もちろん、そこで働いている料理人が、その働き方を好きでやっているわけではないのかもしれませんが。
文化の「外科手術」がもたらす意図せざる結果
で、買収後に何が起きたか。記事を読む限り、アサヒビールは、自分たちの企業文化に基づいて「改革」を進めたと言うことなのだと思います。労働時間の管理、競争の緩和、働き方改革。これらは大企業の文化では当然の施策です。マネジメントとして放置したら、むしろ責任を問われかねない問題でしょう。
でも、その結果として起きたのは、調理場の独自文化の自壊ということだったのかもしれません。買収した側の企業文化を調理場に適用することで、意図せずではあるけれど、職人文化のバランスが崩れてしまったということなのではないでしょうか。
現場の人たちが「職人の技術が落ちていく」「料理の質が落ちていく」と感じたのは、単に労働時間が減ったからじゃない。文化全体のシステムが上手く機能しなくなったからなんだと思います。競争があって、技を盗んで、認められるために必死になって、そういう全体のメカニズムの中で技術が伝承されていたため、働き方に介入したら全体が機能しなくなってしまった。
文化を理解した上での改革とは
これは悩ましい問題ですね。放置したらマネジメントの責任を問われそうだけど、介入すると職場の文化が自壊してしまうかもしれない。
では、どうすればよいのか。
まず第一に、違うものを「問題がある」と判断するのを一旦保留する、という態度が必要なのだと思います。そもそも「問題がある」と判断する際に、何と照らし合わせて「問題」と判断しているかというと、それは自分が自然に思うやり方や価値観なわけです。当然、自分のやり方や価値観が常に正しいわけではない。
料理人の文化と大企業の文化、これらは違うものです。でも、違うものは違うものとして、共生できる、共に存在しておけるような形態をとることが、多くの場合できるのではないかと思うのです。例えば、料理部門は独自の修行の仕方を維持しながら、会計や経営報告の部分だけ親会社のやり方に合わせるとか。
そして何より、変革は極めて慎重に行う必要があると思います。特に人事の仕組みって、働く人のモチベーションや哲学の集大成のようなところがあるじゃないですか。組織文化の変革の場合は、そこにいきなり手をつけるんじゃなくて、リトマス試験紙的に「何を変えると何が変わってしまう可能性があるのか」をテストしながら、一歩一歩進めていく必要があるのではないかと思います。
ホフステードの文化次元のような理論的枠組みを使って、その組織の文化がどういう状況にあって、何が成果に結びついているのかという複雑系をなるべく理解する。その上で、触っていい部分と触ってはいけない部分を明確にする。変える必要があるのであれば、影響を見極めながら慎重に変えていく。
老舗料亭の場合で言えば、職人の競争文化は技術伝承の核心部分だから触ってはいけない。でも、休みの取り方とか、そういう周辺部分から少しずつ調整していくことはできたかもしれません。
組織改革って、異なる文化の視点から見て「問題」に見える部分を単純に取り除けばいいってものじゃない。文化の違いを認識し、尊重し、そのうえで、今後どうするのかを考える。そういう慎重な態度が必要なのだと改めて思いました。
というわけで、今日はなだ万の事例から、組織文化の衝突と改革について考えてみました。文化って目に見えないけど、実はすごく重要なんですよね。みなさんの職場でも、異なる文化がぶつかって意図せざる結果が生じた経験ってありませんか?
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

渡邉 寧
博士(人間・環境学)
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い