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文化的観点で楽しむ小説、今月の2冊(2022年7月)

2022.07.26 渡辺 寧
文化的観点で楽しむ小説、今月の2冊(2022年7月)

文化の観点で小説を読んでみる

小説の楽しみ方/捉え方は人それぞれだと思いますが、一つの小説の楽しみ方として、「文化の観点から小説を読み解く」というものがあります。

今月は、こちらの2冊をご紹介します。1冊目の村田沙耶香さんの「コンビニ人間」は現在の日本の社会を、2冊めの平野啓一郎さんの「本心」は将来の日本の社会をとても解像度高く描いてくれているように思いました。

世の中に小説は無数にありますが、その小説が社会の本質的なところを拡大・強調して描いていたり、市井の人の想像力が及ばないような過去・未来・ありえたかもしれない社会の可能性を描いている作品があります。

驚かされるような解像度の社会像を、作品が見せてくれることがあって、そういう小説を読んだときは、自分が社会を見る目が少し変わることを実感します。

今月の2冊は、そんなことを感じた2冊でした。

コンビニ人間

「コンビニ人間」(村田沙耶香)
村田 沙耶香(著)
「コンビニ人間」

一冊目は村田沙耶香さんの「コンビニ人間」。2016年の芥川龍之介賞受賞作。

コンビニは、ある意味現代日本の多くの人にとって欠かすことの出来ない所だと思います。必要なものが大体何でも揃っていて、24時間365日営業していて、コーヒーも飲めるし、ATMもあるし宅急便も出せるし、チケットの発券も出来る。

あんな小さなスペースに、あらゆる機能が詰まっている。更に、店員の教育は行き届いていて、顧客が「不快」な感覚を感じる可能性が極限まで削除されている。

コンビニの特徴を端的に言うと、「徹底した標準化」「品質基準の高さ」「利便性」といったことになるでしょうか。

日本は文化的には男性性とく不確実性の回避が高い文化と言われますが、この文化傾向を突き詰めていくと日本のコンビニの特徴に繋がります。そういう意味で、現代日本のコンビニは日本文化に見られる典型的な文化的産物ということなのかもしれません。

村田さんの「コンビニ人間」はそんなコンビニのオペレーションにぴったりはまった古倉恵子の物語。コンビニへの過適応は、恵子のパーソナリティによるところが大きいように読み取れますが、グロテスクに感じるほどコンビニのオペレーションに適応した個人の視点を見ると、不確実性の回避(UAI)という文化的価値観が、一定数の人々の心に与える影響が垣間見えるように思います。

オペレーションを決まったルールに基づいて回していくというのは、ホフステードの次元で言えば、不確実性の回避の高さに関連します。

日本の不確実性の回避のスコア
ホフステード指標における日本の不確実性の回避のスコアは92と極端に高い。

ホフステード指数に基づくと、日本は不確実性の回避(92)が極端に高い文化です。「厳密に決まったルール(マニュアル)に基づいて店舗のオペレーションを回す」やり方は不確実性の回避が高い文化においては比較的当たり前の方向性と考えられます。

ある人にとってはマニュアルに基づいたオペレーションは窮屈・退屈・不快に感じられるかもしれませんが、別のある人にとっては、手順が決まっていて、お手本が存在し、成功/失敗の基準が明確というマニュアルベースのオペレーションはむしろ気持ちがいい・好ましいと感じられます。

ある人にとって「気持ち良い」ことが、別の人にとっては「気持ち悪い」ものとして感じられる。それが文化的価値観の差によってもたらされる感情です。

「コンビニ人間」で描かれる世界は、この「不確実性が高い日本の文化」を切り取って強調した時に見える世界のように感じられます。

不確実性の回避が低い状態を好む価値観を持つ人にとっては、この作品はディストピアに感じられるでしょうが、高い状態を好む価値観を持つ人にとっては、こういう仕事の仕方が合う人も確かにいるだろうね、という捉え方になるかもしれません。

本心

「本心」(平野啓一郎)
平野 啓一郎(著)
「本心」

「日本の将来って一体どうなってしまうんだろうか?」という漠然とした不安。

それを口に出すかどうかは別として、今の時代、多くの人はそういう未来に対する不安を感じているのではないかと思います。

漠然とした不安というのはたちが悪くて「とんでもなく悪いことが起こるのではないか?」という妄想と繋がってしまうと、冷静な判断が出来なくなり、普段は行わないような熟慮に欠けた行動に繋がってしまうことがあります。

だから、ちょっと先の将来における、自分の日々の暮らしが見えるようななるべく高い解像度で、「ありそうな未来像」を想像しておくことが大切だと思います。

もちろん、正確な将来予測は誰にも出来ないわけですが、確率的にどういう状況が起こりえるのかは推定することができます。将来を規定するいくつかの鍵となる要素を確認し、それが将来に向けてどのように変化していくかについて一定のロジックで前提を作り、そこから、今とは違うどのような未来が立ち現れていそうかを考えます。

平野さんがこの作品を描いたのは、そういう将来像を読者に見せるためだとは思いませんが、結果として30年後くらいの日本の「一番ありそうな将来の姿」を極めて具体的に見せてくれていると思います。

いくつかの社会の新しい動き、それは社会的分断であったり、メタバースであったり、NFTであったり、人工知能であったり、安楽死であったり、ポリティカル・コレクティブネスであったり、移民であったり、生殖医療と制度であったり、言語と母語が認知に及ぼす機能であったり、するわけですが、それら全ての現状と将来の状況を線形的に引き伸ばした時に、たち現れる数十年後の姿をロジカルに描いているように感じます。

さらに、そういう「最もありそうな数十年後の日本の姿」を舞台として設定した上で、その時代の日本人が感じているだろう心象風景を描いている。

これって、本当に知的な作業だと思うわけです。

僕はこの作品を読んで、「確かにありそうな日本の未来」における、人々の感覚や感情を追体験させてもらったように感じています。そして、確かに経済・社会状況は今とは違うけれど、今の我々と同じように個人的に葛藤し、喜び、日々を生きる人々がいるのだということを感じました。

個人は歴史の中に産み落とされ、その時代に適応するしかなく、今の日本の我々は将来に対してあまり楽天的には考えられない状況なのかもしれません。

将来に対する漠然とした不安というのは常にあるものの、漠然とした将来像を一度解像度高く仮体験すると、「まあ、こんなもんかな」と踏ん切りがつくような感覚になります。将来は淡々と立ち現れるだけなので、そんなに絶望する必要も、悲観する必要もないんじゃないか。

そんな読後感が残った作品でした。


渡辺 寧

代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程在籍。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。

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