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中南米の「集団主義」と東アジアの「集団主義」は同じもの?

2022.03.12 渡辺 寧
中南米の「集団主義」と東アジアの「集団主義」は同じもの?

世界中に「集団主義」文化はあるが、本当に同じ文化なのか?

ホフステード指数を見ていると、世界では集団主義が多数派であることがわかります。個人主義の国は欧州・北米・オセアニア等のごく一部の地域に集中して存在し、世界の広範な地域は集団主義です。個人主義は先進国の一部に限定されるため、ホフステード指数に基づけば、人口比で言うと、人類の大多数は集団主義的傾向を持った文化の中で生活をしているということになります。

地域でいうと、大半のアジア諸国、中東、アフリカ、東欧、南米は「集団主義」文化でくくられます。

しかし、場所も歴史も全く異なる国の「集団主義」は果たして同じものなのでしょうか?

相互依存的人間観 vs 相互独立的人間観

この当然すぎる疑問に対して、中南米と東アジアの比較から興味深い知見を提供した研究論文が先日発表されていました。これは、Polish Academy of SciencesのKrys Kuba准教授らの研究です


Outside the Cultural Binary
Krys et al.,(2022) “Outside the “Cultural Binary”:
Understanding Why Latin American Collectivist Societies Foster Independent Selves” Perspectives on Psychological Science

東アジア諸国(中国・日本・韓国・台湾・シンガポール)と中南米(ブラジル・アルゼンチン・メキシコ、等)は共にホフステード指数上は集団主義の国に分類されます。しかし、Krysらの研究によれば、中南米はたしかに集団主義文化ではあるが、相互独立的人間観が主流で、そこが相互依存的人間観が主流の東アジアとは異なるということでした。

相互依存的人間観と相互独立的人間観は、スタンフォード大学のMarkus教授とミシガン大学の北山教授が1991年に提示したもので、東洋・西洋では自己観(「私(人)とはどういうものか?」)が異なるということを示したものです。



※ Markus and Kitayama (1991) “Culture and the self: Implications for cognition, emotion, and motivation”より引用。Aの相互独立的自己観では、自己と他者は異なる存在として認識されているのに対し、Bの相互依存的自己観では、自己と他者の境界が重なり、境界線上にあるXが自己観を規定している。

北米は相互独立的自己観が主流です。「私」とは他者からは独立した存在で、私と他者との間には明確な境界線が存在します。一方で、東アジアは相互依存的自己観が主流です。「私」とは、他者との間の境界線が曖昧な状態で、「私」と「他者」との境界線上にある要素こそが「私」を「私」たらしめるということが見て取れます。

「人」という字はヒトとヒトとがもたれかかって出来ているという表現をすることがありますが、これは東アジアの相互依存的人間観を良く表した言い方なのかもしれません。また、「人間」という表現も「ヒトの「間」」ということです。英語では人間=ヒューマン・ビーイング(Human-being)ですが、漢字の意味は人間=インター・ビーイング(Inter-being)となります。日本人にとっては、私とは他者との「間」にあるもので、そもそも独立した存在とは見ていないのかもしれません。

こうした根本的な自己観が異なるので、コミュニケーションの仕方、動機づけ、対人関係のあり方、幸福の考え方など、あらゆる場面で文化による違いが現れるということが多くの研究で示されています。

相互依存的/相互独立的と、集団主義/個人主義は、近接概念であり、対応関係の整理が難しいのですが、前者は個人レベルから文化を捉えようとする概念で、後者はあくまで集団レベルの文化差に焦点を置いたものという整理がなされているようです。

南米は集団主義だが、相互独立的人間観が主流

個人レベルの概念と集団レベルの概念という形で仮に整理をしたとしても、相互依存的/相互独立的と、集団主義/個人主義は、そこで語られる特徴に共有したものが多く見られるため、従来、相互依存的人間観は集団主義と、相互独立的人間観は個人主義と、それぞれ対応するものだと考えられてきました。

しかし、Krysらは特に中南米に着目したデータの分析を元に、必ずしも相互依存的であることは集団主義であることを意味しないと述べました。彼らは、複数の研究のデータセットの再分析を行い各種の変数の比較をしています。そのうえで、中南米諸国は、たしかにホフステード指数で見ても、個人主義を測定する最近のその他の指標を見ても集団主義に分類されるが、相互依存・相互独立の指標を見ると、東アジアはもちろん、場合によっては西欧諸国よりも相互独立的人間観を示していることを明らかにしました。

相互独立的/個人主義
Krys et al. (2022)の分析を元に作成。
中南米におけるアルゼンチン、東アジアにおける台湾など例外はあるが、中南米の方が東アジアよりも相互独立的

つまり、南米では、「私は他者とは明確に異なる主体だ」という人間観を持った人々が、自分と自分の家族だけでなく、それより大きな集団への意識を強く持ちながら生活をしているということになります。

普通に考えると、相互独立的人間観を持った人たちが主流だと個人主義文化になるのでは?と感じます。「私は私」と多くの人が考えているので、社会レベルでも「私はこう思う」「私はこうしたい」と個人の意見をハッキリ言うのが当たり前になり、集団の意見/方向性と個人のそれが衝突した場合は個人の意見/意思を優先させそうです。それはすなわち個人主義的価値観が尊重されるということであり、西欧が正にこのパターン。

西欧はこのパターンなのに、どうして中南米は集団主義なのか。Kry准教授に直接聞いたところ、生態社会環境におけるハードシップの違いがあるのかもしれないということに仮説的に触れていました。

様々ある定義の中で、もともと集団主義・個人主義の違いは、生存(サバイバル)の単位が集団なのか個人なのかの違いであるという立場があります。この立場だと、社会生活が個人単位でなされていた方がサバイバルしやすいのであれば個人主義になるし、集団単位の方がサバイバルしやすいのであれば集団主義になります。

南米の場合、もともとはヨーロッパからの移民が相互独立的な人間観を持って入植してきたものの、サバイバルする上では集団主義的社会システムの方が好ましい状況が現在でも続いているため、個人主義ではなく集団主義が保持されているということなのかもしれません。

集団主義は多様性に満ちている

南米で過ごした人や学校に通って居た人たちから、「南米は集団主義のスコアになっているが、個人主義だと思う」という話を聞くことがあります。この背景には、上記のような東アジアとは異なる人間観があるのかもしれません。確かに個人の認識は相互独立的であるため、個人レベルで見ると個人主義に見える。しかし、個人が集まった集団の単位として見ると、その振る舞いには集団主義的なものが顕著に見られる。

東アジアの人たちは、相互依存的人間観を持っていることが多く、よって個人レベルで見ても集団レベルで見ても、一貫して集団主義のように見える。これが東アジアと中南米を比べた時の差ということなのかもしれません。

Krysらは、そもそも集団主義の意味合いは地域によって様々だと主張しています。それは、欧米の研究者がまず「個人主義」というものを定義し、それ以外をすべてまとめて「集団主義」としているからで、集団主義の中の多様性が十分に検証されているとは言えないのは?と述べています。

これは大変おもしろい視点だと感じます。日本の集団主義的特性と他の集団主義諸国のそれは同じなのか違うのか?何が同じで何が違うのか?アジアを始めとした様々な新興国が更に発展していく中で、そうした社会の作り方の違いをより精緻に具体的に知ることは、異なる文化の人達との協同を考える上で役立つ知見となるでしょう。

文献
  • Krys K.,Vignoles V.,Almeida I.,Uchida Y. (2022) “Outside the “Cultural Binary”: Understanding Why Latin American Collectivist Societies Foster Independent Selves”, Perspectives on Psychological Science, 1-22
  • Markus H.R., and Kitayama S. (1991) “Culture and the self: Implications for cognition, emotion, and motivation”, Psychological Review, Vol. 98, No. 2, 224-253

渡辺 寧

代表取締役
シニアファシリテーター

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程在籍。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。

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