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日系大企業は権力格差が高め?
権力格差という文化の次元があります。これは権力を持っていない弱い人達が、権力の不平等な分布に関してどのように考えているかという文化差を示す次元です。
権力格差が高い場合は、「権力が不平等なのは当たり前」と考えます。例えば組織や社会の中で一部の人に権力が集中するのは普通のことで、一般の人々は権力者に従います。一方、権力格差が低い場合は、「権力の上下関係は便宜的なものだ」と考えます。組織内でタイトルの違い等があったとしても、それは便宜的なものであり、本質的には権力に関して人々は平等と考えます。
以上のような定義の説明をした上で、日系大企業の方々に、「あなたの組織は権力格差は高いと思いますか?低いと思いますか?0~100のスコアで言うとどの程度ですか?」という質問を良くします。私はこれまで1,000人以上の方々にこの質問をしていますが、日系の大企業にお勤めの方々の回答は、平均すると60~70くらいなのではないかと思います。
要は、私のフィールドワークの感覚だと、日系大企業の組織文化はちょっと権力格差が高めな可能性があるように感じるのです。
大企業・大卒・高年収・ホワイトカラーだと権力格差は低そうだが・・
この感覚は実は理屈と合いません。なぜなら、権力格差60~70というスコアは、日本の国レベルの権力格差(54)よりも高いからです。
私がフィールドワークで聞いている日本企業の皆さんは、大半が大卒以上の学歴で、給与水準も日本の平均よりも高く、主に都市部で働いてるホワイトカラーの方々です。このような属性の母集団に限定したら、通常は権力格差は「低くなる」のではないかと想像されます。そのため、理屈からすると、この現象は普通では無いように見えるわけです。
もちろん、きちんとしたデータを取って分析しないと確かなことは言えないのですが、それにしても日系大企業の方々の権力格差の認識はちょっと高いように感じるわけです。
権力格差が高いと異論が表立っては出にくくなる状況に
権力格差が高いと、組織内では「上には逆らわない/反対しない」という態度が一般的に見られるようになります。
もちろん、権力格差が高いこと自体が悪いわけではなく、例えば、リーダーが非常に優秀で正確な意思決定が出来、人望も厚いのであれば、組織の権力格差が高かったとしても問題にはなりません。逆に、この状況では組織の成果も組織メンバーの幸福度やエンゲージメントは高くなることが予想されます。こうした状況においては、ネガティブな意味で「逆らわない/反対しない」わけではなく、リーダーを信頼・尊重し、積極的に従おうとするという態度になることが予想されるからです。
一方、リーダーの意思決定が効果的ではなく、組織を束ねるマネジメントにも効果性を欠いている場合は、高い権力格差は問題になります。
権力格差が低い文化であれば、そのことについて率直な議論がなされますが、権力格差が高い文化では、上に対して異論を述べることは普通ではないという空気があり、異論を言うことによって不利益を被りそうな感覚が有るため、人は権力者に対しては反対意見を言いづらいという現象が起こります。
個人差はありますが、多くの人は、リーダーに違和感を感じ、その意思決定にも納得していないものの、どこかのタイミングで自分の意見を持つことを諦めてしまい、上から言われたことをやってれば良いというメンタリティになりがちです。
こうした状況においては、高い権力格差は組織の効果に対しても個人の職務満足・幸福度に対してもネガティブな結果をもたらすと考えられます。
日系大企業の権力格差の高さはネガティブな結果に繋がるのでは?
ポジティブな結果にもネガティブな結果にも繋がるので、権力格差が高いこと自体は問題とは言えないのですが、私は、日系大企業の場合はネガティブな結果に繋がりやすいのではないかと感じています。
というのも、日系大企業の方々から、「異論が言いにくい」「組織内で自由にものを言えない」ことに関して強いストレスを感じるという話をよく聞くからです。おそらく、人事・組織制度上の問題で、良い上司に恵まれる機会が限定的な方が多いのではないかと思います。
組織エンゲージメントや職務満足度、更に最近は職場における幸福度が組織の成果に結びつくということが言われる中、権力格差が高い組織で自由に意見が述べられず、ストレスを感じることは個人にとってマイナスなだけではなく、組織の成果にとってもマイナスです。
理屈では、大卒・都市部・ホワイトカラーのメンバーが集まる組織は権力格差が低くなっても良いようなものの、どうして権力格差が上がってしまうことが起こり得るのか。その原因を解明し、それに対して対策を打っていくことは社会的に重要なテーマの一つだと思います。
日本的雇用・人事制度が組織の権力格差を高める?
日系企業で権力格差が高くなる原因は色々とあると思いますが、一つ、私が仮説として思うのは、現状の日系大企業の雇用制度・人事制度が組織の権力格差を高める一因になってしまっているように感じます。
ジョブ型・メンバーシップ型という言い方がされますが、日系大企業での個人のキャリア構築は会社が主導権の多くの部分を握っており、個人が主導権を握ってキャリア構築していくことが難しいように感じます。新卒の時から、どこの部署に配属され、何の仕事をするのかに関しては主導権の多くの部分を会社が握っています。社員は配属された先で割り当てられた仕事を一生懸命頑張って覚え、成果を出すことで組織の一員として認められていきます。
もちろん、個人はキャリアの希望を会社側に伝え、それは考慮されるわけですが、人事権のコントロールに対して個人が及ぼせる影響力は一定程度に限定されており、会社からの辞令を受けて、それに個人が応じて適応できるよう頑張るというのが日系大企業での当たり前なのではないかと思います。
人事権は組織における権力の源泉の一つなので、自分のキャリア形成=人事のイニシアチブを組織側が持っているということは、常に権力を会社側が握っているということになります。
入社してから一貫して、そのような権力格差状況で長い会社人生を送っていれば、それは高い権力格差の価値観が個人の中に浸透し、その価値観が身体化されてしまっていたとしても不思議ではありません。
個人が権力を取り戻す方向性が必要では?
もし日系大企業の権力格差が60〜70程度だとしたら、私はそれは高すぎると感じます。
エンゲージメント調査や幸福度調査などの国際比較をすると、日本の組織で働く職業人は、エンゲージメントも幸福度も極めて低い数値を示すことが知られています。この手の国際比較は、調査手法上のバイアスがあるため、結果を鵜呑みには出来ないのですが、「他国の人の方がエンゲージメントが高そうだ/幸せそうだ」という結果は多くの日本人にとってリアリティがあるものなのではないかと思います。
こうしたエンゲージメントや幸福度の低さの原因の一つは、組織の中で個人に権力が無いことに由来しているのではないかと感じます。個人主義の文脈では主体性・自主性が損なわれると、人の幸福感は大きく阻害されます。日系大企業の権力格差の高さは、働く人々の主体性・自主性を阻害している可能性があり、そのことが働く多くの人にネガティブな影響を及ぼしているように思います。
世界の価値観が個人主義の方向に進んでいる現代においては、組織の中で如何に個人が権力を取り戻すか、ということを考える必要があり、制度改革や新規の制度設計をするのであれば、「その制度によって権力は組織から個人に移るか?」ということを考える必要があると思います。
渡辺 寧
代表取締役
シニアファシリテーター
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡り国内/海外マーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程在籍。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。